埼玉県里親会 電話:048-779-7200
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皆さまからの声

体験談

縁あって一緒に生活することになった家族。 でもそんな里親家庭といえども普通の家族と同じ、ひとつ屋根の下、悩み、喜び、励ましあい、それぞれの家庭に物語があります。そんな物語の一部をご紹介致します。
 

里親の声

ようこそ我が家へ

アジュ、悪くないもん♪ W.Y
おかあさんの宝物 K.S
Aを我が家に迎えて J.K
4つのHEART♥ C.I
まーくんへ まーくんママ
のんちゃんと出会って・・・ 田中 真由美 南はなみずき会
家族で応援団 うめちん
この子の背中 里親L.M
Kちゃんと暮らした10ヵ月が過ぎて 里親Y.H
   

里子との毎日

里親生活 かあちゃん
思春期を迎えて ペンネーム 堺 まさあき
パパとの時間 三芳町 A.N
わが子として H.N
二人兄弟 やっくんとたっくんのお母さん
愛情のバロメーター 里親H
二人の我が子たちと共に 中澤 道子
Qは小学生の・・・ 匿名
受験、悲喜こもごも 中央ゆずりは会H.T
   

先輩里親さんから

里子の自立支援体制の確立を願う 新井 裕
自立へ S.K
おばちゃんからお母さんに変わって T.Y
皆さん、聞いて下さい! 里親T.N
里親の道(家族とのつながりを大切にして) 所沢里親会里母T.Y
小春日和のある日・・・・・ 熊谷やまなみ会A里親
我が家では・・・・・ 熊谷やまなみ会D里親
   

里親へのすすめ

リタイヤ直前直後の皆さんへ 中央ゆずりは会O.R
今日も朝早く・・・・・ 南はなみずき会C里父
私たちは実子2名・・・・・ 熊谷やまなみ会B里親
私たち夫婦は・・・・・ 熊谷やまなみ会C里親
私たち夫婦は・・・・・ 熊谷やまなみ会E里親
Mからのたくさんの贈り物 越谷さくらんぼの会T里親
   

実子の声

Y君に感謝 ゆうみ
二人のやんちゃな天使 宇田川 琴美
懸け橋になりたい N.I.
   

里子の声

『15歳』僕の今の気持ち T.I
私はこんな生き方をしたい Y.Y
家族 里子O.Y
ウチの家族について 里子E.I
ぼくは5年生です。・・・・・ 南はなみずき会B君から
わたしは、二年生です。・・・・・ 越谷さくらんぼの会Rちゃん
   

元里子の声

New! 今思うこと
New! 今の自分 T.O
二十才になって H.H
熊谷やまなみ会家族 E.Y
   

支援団体の声

New! 元気の源! 富士見乳児院 施設長 野口ひろみ
   
 

里親の声

ようこそ我が家へ

●アジュ、悪くないもん♪ W.Y
自分のことを「アジュ」という、我が家の五男は生後8か月で授かった里子です。4人のお兄ちゃんと、2学年上になるお姉ちゃんは、小さなお顔の半分ぐらいある、大きなお目めから、涙がぼろぼろ、ずっと泣きやまずにやってきたアジュを、「かわいいね~」、「ちっちゃいね~」、「泣くな、お前んちだぞ!」と。「外国人みたい」、「母さん、英語で育てるの?」様々な歓待の言葉で迎えてくれました。
里弟を迎えることを、実子の子供たちは、お母さんを6等分することになるのに、ちょっと寂しいのと、でも、里兄弟になることがとても誇らしいような気がするようで、学校で自慢したり、「5人も子供がいて、まだ足りないらしい」と先生に話したり、色々な気持ちでいたように思います。
いざアジュとの暮らしが始まると、離乳食を食べさせたり、おんぶをしてあやしてくれたりと、何かと関わってくれ、その姿に年配の方から「昭和を思い出すよ」、「涙が出るよ」と感激されて、子供のほうが照れ笑いをしていました。
私はカリスマ母さんではありません。実子の子育ても、苦悩と幸せが替わりばんこにやってくるような毎日です。不完全な親だけど、でも未来の日本、世界中で、生まれた命が皆、愛情いっぱいに、健全に育てられる社会になるように願ってしまう。子供の不幸を伝えるニュースに心が痛む。何かができるなら、何かしたい。
やんちゃできかんぼうのアジュ。どんなにいたずらしても、絶対に謝らないアジュ。育て方に悩む時もあるし、私ごときが里親などと大それたことをしてしまった…と思う日もあるけど、アジュの天使の寝顔でいつも帳消し。あなたを授かったおかげで、夢に一歩近づけた気がします。
みんな、うっかり母さんを助けてくれてありがとう。アジュ、生まれてくれてありがとう。これからも、どうぞ幸せいっぱいに育ってね。
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●おかあさんの宝物 K.S
私の宝物。それは我が家にやってきたおちびさん。彼が我が家の一員となってもうじき1年。毎日毎日一緒にいるのに「あれ…また大きくなった!」と驚かされるほど、体も心も態度までもグングン成長中です。彼の笑顔見たさに私たち夫婦に元気が湧き、彼の笑顔からまた元気を貰っています。 委託当初、何かを訴えるような、まるでサイレンのような泣き方に3歳の子のどこにこんなパワーがあるのかと戸惑うこともありました。それが半年も過ぎた頃からは、ハラハラと涙をこぼし甘えてくるような泣き方に変わっていきました。彼の意によるものではない環境、そしてその変化が小さな彼の心の中でどれだけの不安になっていたか… 私たちには見守ることしかできません。
ですが、いつも一緒に食べて、遊んで、笑って、泣いて、眠る。そんないたって普通の暮らしの中で彼の思いに少し変化が出てきたのではないでしょうか。また同時に私の中にも変化がありました。大声で泣き続ける彼に、最初はただただ困惑するばかりでしたが、次第に(こんな可愛い子を泣かせてしまって、私は何をやっているのだろう…)と徐々に受け止め方が変わっていきました。こんな風に、お互いに段々と家族になっていくのかなと感じています。
彼は、これまでにたくさんの人に見守られて育ってきました。その多くの人の彼への思いを私たち夫婦は繋げていかなければなりません。彼と暮らすまでは、子育ては夫婦二人でできるものと思い込んでいましたが、暮らし始めると実際には家族や友人、ご近所さんなど、たくさんの人に助けられていることに気づかされました。これからも多くの人の力を借りながら、元気に生まれてくれた彼を育んでいくことになるでしょう。いつの日か彼が、より多くの人々に見守られ大切にされて成長した自分に自信を持ってくれたらと思います。
未来ある君の成長を、一番近くで見守ることができる幸せを日々感じています。君の「おかあさん、だ~いすき!」の一言で、おかあさんはなんだってがんばれる。これからやってくるかもしれない大変なことも、小さい君が「おかあさん、おかあさん」って、いつも私の傍に居てくれる、小さい体でギューッと抱きしめてくれる、笑顔で見つめてくれる今の力できっと乗り越えられる、おかあさんはそう思っています。君は私たち家族、そして私のかけがえのない宝物です。
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●Aを我が家に迎えて J.K
Aを我が家に迎えてから2年の月日が過ぎました。Aが我が家にやってきたのは、私たち夫婦が結婚して14年目の出来事でした。Aは1歳になったばかりで、よちよち歩きのころでした。Aを我が家に迎えるまで、私たち夫婦は子供と一緒に暮らすという願いが、叶いかけては破れてしまうという経験を何度もしました。
結婚11年目に息子を授かることができましたが、その子も1歳の誕生日を迎える前に、先天性の病気で亡くなってしまいました。どうして、当たり前に子供を産み育てるということが、私たち夫婦にはできないのだろう。当時は、失意の中にありました。その後、私たちは夫婦で話し合い、自分たちの子供を育てることを諦めました。
しかし、子育てをするということは諦めなくてもいいのではないか、違う形で家族になることもできるのではないかと考えるようになりました。そして、里親制度を知り里親登録しました。登録した直後に生後8か月の女の子、Aの紹介を受けました。
登録後すぐに紹介を受けられるとは夢にも思っていなかったので、嬉しくて、涙が溢れてしまいました。紹介いただいた時に分かったのですが、養育里親研修の実習を乳児院で受けた際、Aはその時に会った赤ちゃんでした。乳児のお部屋に案内された時は、ちょうどお昼寝の時間で、ほとんどの赤ちゃんは眠っていたのですが、Aだけが暗がりの中で起きていました。指導いただいた職員の方に促されて、Aを恐る恐る抱っこさせてもらいました。Aは、私が顔を覗き込むと「あっ」と小さなかわいい声を出して、私をじっと見つめていました。色白で、お顔が小さくて、温かくて…とてもかわいい赤ちゃんで、印象に残っていました。あのAちゃんが、お家に来るのかなと思うと嬉しくて、必ず我が家に来てもらおうと心に誓いました。
その後、4か月ほど乳児院に通い、Aを我が家に連れて帰ることができました。家に来た当初は、一緒に暮らせる喜び以上に重い責任を感じ、希望と不安が入り混じった気持ちでのスタートだったのを覚えています。
Aはとても活発で、好奇心旺盛で、とにかく動きまわって、当初は目が離せずとても大変でした。そんなAも今年3歳になり、先日、七五三を迎えることができました。Aは相変わらず活発で(さらなパワーアップしているかも…)、とにかく外遊びが大好きで、毎日公園を駆け回り、お砂場ではどろどろになって、暗くなるまで遊んでいます。私もくたくたになりながらも、一緒に充実した毎日を過ごさせてもらっています。
来年からは幼稚園に行きます。親子が常に一緒に過ごす時期が、もうすぐ終わるのかと思うと少し寂しい気もしますが、これから幼稚園でいろいろな経験をして成長していくであろうAのことを思うと、楽しみでもあります。Aのあまりの自己主張の強さに、私もまだ3歳の子供を相手に大人げなく本気になって怒り、Aが眠ってから反省することが度々あります。ごめんね… Aちゃん。私もAと同様に、今後の生活の中で一緒に成長していけたらいいなと思っています。Aちゃん、お父さんとお母さんのところに来てくれてありがとう。これからも仲良く、いっぱい笑って過ごそうね。
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●4つのHEART♥ C.I
今から、7年前・・・我が家に子供を授かった。 結婚してすぐ授かると思っていた子供が何年経っても身ごもらず、病院に通っては落ち込む日々を過ごし、仕事に没頭する日々を過ごしていた。夫婦で立ち上げた会社も軌道に乗り、生活も安定し満足するお金も稼げ、それでも尚結婚して夢だった子供をなかなか授からず、私たち夫婦は里親という道を選んだ。結婚して10年位経ってからである。 里親登録をしてから1年位経った頃、児童相談所から1本の電話が鳴った。2歳の男の子M君・・・初めての我が子。全てがMと私にとって初めての経験だった。 あの頃は、沢山の試し行動や慣れない生活に、Mも私も夜にはくたくたになっていたね。覚えていますか?M。一緒になって1年位経ち、初めてMを真剣に叱った日の事・・・。泣きながらママに抱きついて来たあの時のMは、今まで沢山抱っこしていたMとは違い、心からママに飛びついて来たように思った。
その夜、Mが可愛い顔ですやすや寝ている姿を見て、ごめんね・・・って心の中で何度も繰り返しながら、真剣に叱った時の事を考えていた。もしかして、今までは親子ごっこをしていたのかなって・・・思った。可愛い可愛いだけでは何も伝わらないんだって。 この日を境に色んな事が変わって来た。真剣に向き合った事で、Mと私は今までより心が通じるように感じ始めた。 それから3年ほど経って、Mが年長さんになった頃、児童相談所から又嬉しい知らせが。Mがお兄さんになるのです。生後6か月の女の子Aちゃん・・・今ではもう4歳。おてんばで元気いっぱいのA。始まりは2人だった家族が、3人になり4人になった。 色々な個性で違った考えや行動が交差する中、沢山の言葉を交わしあい、笑いが止まらなくなったり、突然真面目に話し出したり、喧嘩したり、あり得ない事が突然起きたり・・・ハチャメチャな時もある。そんな毎日を繰り返す日々に葛藤しながらも、楽しくて幸せを感じる。 子どもを授からなければ分からなかった事、気付かなかった心や経験も全て、大切な事の一つ一つが家族の中から生まれる。 ありがとう・・・4つのHEART♥ 繋がった絆、この先も、もっともっと深く。 大人になったとき、それぞれの人生が幸せで輝けるように・・・願いを込めて・・・
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●まーくんへ まーくんママ
まーくん★
いつもニコニコまーくん★
君が我が家に来たのはいつだったかしら? 初めて会った君はまだ8ヵ月。不安そうな顔で私達をじっとみていましたね。 面会が始まると、初めはいつも泣いていましたね。お父さんとお母さんは途方に暮れて、ただただ抱っこをするだけでした。
我が家に来てからは、よく寝て、よく食べ、よく動き・・・本当におりこうさんでした。
そんな君だけど何となく不安定で、よく抱っこをせがみましたね。お母さんは慣れない育児に疲れて、抱っこを断る時も何度かありました。ごめんね。 夜は夜で君は、ミルクを飲みながら背中を向けて勝手に寝てしまったね。お母さんは楽でいい子だな、と思ったけど、今思えばもっと包み込んで寝かせてあげればよかったかな。
今、1歳8ヶ月の君は、本当に元気にまっすぐ育ってくれました。
とっても笑顔が可愛らしくて、一日中動きっぱなし。
いたずら大好き。
甘えん坊。
家族みんなに可愛がられて愛情いっぱいに育っています。
最近、お母さんのことを「かっか」と呼んでくれる君を見て、お母さんは君をとてもとても愛おしく思います。
君の生い立ちの事を考えると、お父さんもお母さんも胸が痛みます。どうせなら、夢であってほしい、そう思います。大きくなった君は、自分のことをどう思うのかな。 これから、どんなことがあるのか、お父さんとお母さんはワクワクしています。幼稚園に行って、小学校に行って・・・・。まだまだ想像がつかないけれど、家族みんなで楽しくやっていこうね。
最後に・・・生まれてきてくれてありがとう。
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●のんちゃんと出会って・・・ 田中 真由美 南はなみずき会
のんちゃんが我が家に来て、にぎやかで楽しいお正月を迎える事が出来ました。
とはいえ日常はあわただしく、今迄子供のいない専業主婦だった私には180度変化のある日々を過ごしています。身近に子供がいなく、接する機会がなかったので、子供のパワフルさにはただただびっくりしております。ただ一緒に行くスーパーにも公園も、今迄味わう事のなかった楽しさがあり、我が家に明るい声がひびく様になって、この出会いに本当に感謝しています。
のんちゃんとの初めての出会いは、7月末頃の事でした。人見知りが強いと聞いていたので、泣かれる事も覚悟しながらも楽しみに面会の日を迎えました。部屋に入って来て、元気に“のんちゃんです”とあいさつをしてくれて、印象通り元気で明るい子でした。泣く事もなく、主人のひざに抱っこさせてくれ、ホッとした初対面でした。
でもその後は週1で片道1時間以上かけて、15~20分位の面会を重ねて、早く仲良くなりたい、もっと一緒にいたいと思いながらも、じっと時間をかけての我慢の日々でした。この頃ののんちゃんは、今ののんちゃんと比べるとまるで別人なので、まだまだ心を開いていなかったんだと改めて感じます。
順調に面会を重ねて10月に入ってからは、平日1回と週末は、夫婦で行く様になりました。慣れない春日部で、のんちゃんが楽しく過ごせる場所を調べながら、色々な所へ行って過ごしました。特にぐずる訳でもなく、わがままも言わない、何でも食べる、手のかからない、とってもいい子でした。今はすっかり変貌しましたが・・・(笑)
11月にやっと自宅に連れて来れる様になりましたが、朝早く迎えに行って、5時迄に戻る為、2往復するというハードな日々になりました。この頃の話題は、のんちゃんの事ばかりで楽しかった反面、体力的にはだいぶ疲れがたまっていましたが、気力で頑張りました。
やっと11月末に、念願の1泊の許可が出ましたが、この時に今迄見た事のない表情を見る事になりました。
ついさっきまで笑っていたのに、おフロに入る時になって涙をポロポロ流して“帰りたい”と言ってきたのです。この時は、こんなにちっちゃい子が身の回りの変化にとまどいながら頑張っているんだなあと、とてもせつなくなりました。のんちゃんの不安やとまどいを受け止めながら、“一緒に頑張ろうね”と抱きしめて話しました。
とてもせつない思いを感じましたが、自分の口で不安をはき出してくれた事が、かえってお互いに良かったのではないかな・・・と思い、何か壁を一つ乗り越えた気がしています。
その後のお泊まりは、回数を重ねるごとに慣れてきて、わがままの度も増して、笑ったり泣いたり、歌って踊ったり、色々な一面を見せてくれる様になりました。
まだまだかけ出しの親子で、これから近所、幼稚園、告知等乗り越えなければならない事はいっぱいありますが、先輩里親さんの経験を聞かせてもらいながら、焦らず少しずつ親子の絆を作っていきたいと思っています。
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●家族で応援団 うめちん
我が家にKが来て、もうすぐ5ヶ月。
只今2歳半の男の子。
さぁ、今日から親子だよ、と言われたって、お互い急にそうはなれないから、少しずつ少しずつやっていけばいいよね、という気持ちでスタートしました。
うちはおばあちゃんと同居で、私が家事をする間、面倒を見てくれます。良く相手をしてくれるので、こちらに友達のいないKにとって、唯一の遊び友達です。
なるべくKの思う通りにしてくれ、食べることが好きな彼におやつをくれる、優しいおばあちゃんのお陰で、こちらの生活にも比較的早く慣れたのではないかと思います。
また、周りの方々に暖かく接して頂き、ありがたく思っています。
Kはまだ、言葉が少しずつ増えている最中で、おしゃべりも何を言っているのかわからないことも多いので、心のうちはわかりませんが、私の方も、やっと落ち着いて彼のすることを見ることができるようになりました。最初のうちはハラハラして、危ないことはしないか、困ったことをしでかさないかと心配したりして、つい大声を上げることもありましたが、今は大分、しょうがないわね、と思えるようになりました。
気持ちが変われば余裕も出てきて、Kの笑顔もよりかわいく思い、ギュッと良く抱きしめます。
Kも、私の足にしがみついて、じゃれてきます。
逆に、怒ってばかりいると、言うことを聞かなくなります。
打てば響く、とはこのことでしょうか。
2歳1ヶ月でうちに来ましたが、乳児院で育った2年間は、決して短いものではないと感じます。その間彼を育んできたのは乳児院で、私が面会に通うようになるまで、私は影も形もなかったのですから・・・。お片付けができるのも、ご挨拶ができるのも、みんなこれまでちゃんと育ててもらったお陰です。
うちに来た当初から、一緒にお風呂に入るとき、自分のおへそを指差し、「あ」といいます。 「おへそ」と私が言うと、今度は私のおへそを指で触ります。
何故でしょう? たまに、そういうことを繰り返します。
すごく気にしている訳ではないですが、Kのおへそと私は繋がっていなかったという事実を考えてしまいます。告知はまだ先ですが、この事実を知ったとき、Kはどう思うのだろうと思ってしまいます。  
Kには、何か夢中になれるものや、将来実現させたい夢を持って欲しい。それがあれば、生きていく力になると思います。
泣き虫のK、強くたくましく育ってほしいな。
パパもママも、そして、おばあちゃんも応援してるよ。
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●この子の背中 里親L.M
この子が初めて我が家にやって来た頃は、笑わないし笑っても声は出さず、表情も何となく暗い感じがしていました。考えられる要因の一つに、この子は私たちの前に別の里親に委託されていていましたが、施設に再び戻されたという背景がありました。三歳にして何という人生経験であろうかと、いろいろ思いを巡らせると毎夜涙が止まりませんでした。もちろん全ての事実を私達が知らされている訳はなく、実親さん、前の里親さんに事情があった事は分かっていますが今後二度とこの子に不安な思いを絶対にさせてはならないと強く思います。
今、一緒に暮らし始めて約半年になりますが、とてもたくましく成長してくれています。今では大きな声で笑うしおしゃべりもフル回転、走り回って転んでスリキズいっぱいです。子供の順応性の素晴らしさに毎日驚かされ感動をもらっています。そして「ママ大好き!世界で一番すき」と言ってくれ、幸福を感じています。
先日、私の昔からお付き合いのある理容師さんにこの子を紹介し髪を切ってもらいました。その時「この子は子供らしい良い顔をしているね。青竹の様に真直ぐ育つから頑張りなさい。この子を離してはダメよ」と言われ、とても有り難い気持ちになりました。この子の背中を見ていると彼の歴史が頭を巡り愛しくてたまりません。小さいけれどとてもたくましい背中なんです。私はこの背中を撫でるのが大好きです。
ある日、この子がふと、こう笑顔で言いました。「ママ(私の事)ぼくね、昔のパパとママの所でお利口さんだったよ。でもね、もう忘れちゃった」と。本人は何気なく言ったのでしょう。ですが私はこの言葉の中に存在する深い深い意味を推しはかり、又々涙を流してしまいました。そして改めてこの子の天性の明るさに畏れ入った一日でした。
まだまだ家族になって日が浅く偉そうな事は言えませんが、これからもこの子の背中を眺め、撫でながら一緒に成長して行きたいと思います。
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●Kちゃんと暮らした10ヵ月が過ぎて 里親Y.H
おととし12月上旬児童相談所を通して、当時4歳7ヶ月のKちゃんを紹介されました。私たち夫婦が里親と認定されてから実に2年半も経っていました。
児童相談所の担当者の方に「とても元気な子です」と言われた通り、Kちゃんは活発に動きまわるやんちゃな男の子でした。その後、面接、お出かけ、お泊りと段階を経て、4月より正式に委託となりました。
これを機に私たちはもう少し間取りの広い団地に引越し、私は人事異動で新しい職場に変わりました。Kちゃんにとっても4月から全てが新しい生活になりました。今までは、施設から幼稚園に通っていましたが、今度は両親が働いているので、夕方まで保育所で過ごします。そんなわけで、バタバタと3人での新しい暮らしが始まりました。夫婦2人の生活から、いきなりやんちゃで活発な男の子が同居したわけですから、それはもう生活が一変しました。
最近、Kちゃんの扱い方、例えば言う事を聞かなかった時の対処法などわからず、気が狂いそうな日々が続きました。私自身心にゆとりがなく、カッとなり、ヒステリックに叱る事もしばしばありました。しかし次第に彼の良いところ(優しい面)もわかり、子どものいる生活の良さも味わえるようになりました。例えば、お昼寝をしている時私に布団をかけてくれたり、荷物を沢山持っている時「おれが持つ」と1つ荷物を持ってくれたりと、彼の優しい面がわかると、Kちゃんがしだいにかわいいと思えるようになってきました。
最近は私に甘えてきて「抱っこして」と、1日に何回も抱っこをせがみます。 また、寝るときも私の布団に入ってきて、すり寄って寝たがります。
私たち夫婦がこの子と出会い、一緒に暮らす事になったのも何かの縁だと思い、家族が増えたことに喜びを感じながら、今、この子といることを楽しんでいるところです。
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里子との毎日

●里親生活 かあちゃん
「あれ~、お久しぶりです」 現在、上の娘と17歳離れた下の息子は7歳。息子の同級生のママから、「すみません、上のお子さんがいましたよね?」 声をかけてくれたママのお母さんと、十数年前、PTAの役員でお世話になっていた。「あの時は母がお世話になって…」(笑)
「母と役員をしていた方ですよね」、あの時、小学生だったお子さんと同級生のママになった。「母親なのか、もしかしたら娘さんの子?」その日は質問をしたかったママと笑顔でお別れ、家に帰って家族で大笑い(*^_^*)。次に会った時は、息子の口から「ママ」と出たのでそのまま過ぎ、今も変わらず同級生のママ友である。
もっと驚いたことに、息子の担任は上の子の担任の先生だった。10年ぶりに転任してきた先生と知り合いがいて良かったと2人で喜んだ。不思議な縁を感じながら、小学校1年生のママをしています。
息子が我が家にきたのは3歳のお誕生日を過ぎてからでした。体が弱く、口もほとんど聞かず、泣くことの多かった息子が、我が家にはとても大切な宝物になっていました。息子から教えてもらうことも多く、気長に待つことの大切さ、健康の大切さ、息子を囲んで笑いの絶えない生活、そんなたわいもない幸せのなかで、しみじみと里親になって良かったなと感じる日々を過ごしています。
少し年齢のいった父さん、母さんだけど、息子は普通の家庭と同じように「パパ、ママ」、と飛んできてくれます。ちょっと違うことは、私たちが本当の親ではないことを知っていることです。
息子に言います。ここはあなたの家だから、あなたは父さん、母さんの大事な子だからと、色々なことを乗り越えていかなくてはならないけど一緒に乗り越えて、幸せに暮らそうね。
生まれてきてくれてありがとう、父さん、母さんの子どもになってくれてありがとう。
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● 思春期を迎えて ペンネーム 堺 まさあき
我が家の朝は、まさにA子の天下です。起床してから通学するまで大変です。「起きて」の声で始まり、「気を付けて」、「行ってらっしゃい」まで、途切れることのない妻の声。次はA子の「うるさいな~」の声。私は毎朝、この光景を見ながら、よくここまで成長したなと実感しています。
小学校2年生の夏休みに、小さな天使が我が家にやってきました。当初から、明るく元気な、とてもよい子でした。妻の姿が見えないと不安で、涙をいっぱい溜めながら探したり、田んぼの水路で暗くなるまで、魚やどじょう、サリガニなどを捕ったりしていました。
しかし、心配していた過食が治らず、夫婦でA子に諭したりして、少しずつ変化が見られてきました。現在は、オリンピックやワールドカップを見て「なでしこジャパン」にあこがれて、近所のサッカー教室にときどき通っています。体重も50kgを超えて、体はりっぱな大人となってきましたが、最近は学校で「自我」、「反抗」、「乱暴な言葉」など、思春期特有の行動も目立ち始めています。
学校からの連絡ノートには、「注意されても素直に聞き入れないことがある」、「自分の思い通りならないと乱暴な言葉使いになる」と記載されました。ただし私は、これは「想定内」であり、人間だれもが思春期、反抗期があり、大人へのワンステップととらえています。
A子が間違った行動や乱暴な言葉使い、いじめなどをした時は真正面から向き合い、話し合いをしています。A子は、涙ながら「ごめんなさい」と素直な中学生になります。これからA子にどんな人生が待っているのか、私たちは楽しみにしています。
友達をいっぱい作り、楽しい青春時代を過ごし、スケールの大きい人間になって、社会の礎になってほしいと思っています。
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● パパとの時間 三芳町 A.N
夫婦二人でそれぞれの趣味や勉強、旅行に買い物… 楽しいライフスタイルにMが加わってからあっという間に2年が過ぎようとしています。夫婦二人のライフスタイルは一変、今まで以上に楽しいことが増えました。(面倒なことも増えましたが・・・笑)
それからの2年でMは信じられないような成長を遂げ、まぎれもなく家族になりました。当時はやっと歩けるようになったくらいの1歳半、あれからすくすくと元気に育ち、今では自転車に乗れるようにもなりました。仕事が休みの日しか一緒に過ごす時間はありませんが、「パパが大好き!」と言って抱きついてくるMを見ると、一瞬で仕事の疲れが吹き飛んでいくのが分かります。
Mのマイブームの一つは、バイクに乗って遊びに行くことです。ずっとバイクの音や、ヘルメット姿を怖がり乗れなかったMでしたが、最近やっと乗れるようになり二人でお出掛けしています。そしてもう一つは公園です。自転車(ペダル無)も上手に乗れるようになり、公園まで自転車です。車が来るとピタっと止まり、通り過ぎるのを待っています。公園ではブランコや滑り台がお気に入り、でも一番のお気に入りはお砂場です。マイお砂場セットを持って行き、砂で料理を作るのが大好きです。食べることが大好きなMは、ちょっとウエイトオーバー(*_*)。そんな時は二人で公園の中をランニング!3周、5周と走っても疲れないMは意外と体力があることにビックリしています。
Mの趣味は音楽とダンスです。大好きなアーティストはEXILE。ボーカルのATSUSHIを今でもパパだと信じている姿には冷や汗ものですが、いつも音楽に合わせてダンスするのは彼女のソールではないかと目を細めて見守っています。
来春からはいよいよ幼稚園です。ちょっと寂しくなる半面楽しみにしているのが運動会。Mにカッコ悪い姿は見せられません!日々の修行を強化し、「あれがうちのパパだよ!」と言ってもらえるように頑張らないと。 Mの成長に合わせて、いろいろなイベントが楽しみな今日この頃です。
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●わが子として H.N
Rが我が家にきたのは、3歳8か月の時です。それから5年が経ち、今年の秋には丸6年になります。Rが来てからのてんやわんやは以前に、会報「いとしご」に寄稿させていただいたので、今回は縁組の事を書かせていただきます。
我が家に来て、4か月後には幼稚園に入園しました。幼稚園側でも事情を把握してくださり、ずっと私たちの性で通していただきました。そして年長になり、小学校入学が具体化してきた頃、特別養子縁組の手続きを始めました。
裁判所に提出する書類や戸籍謄本の取り寄せなど、緊張しながらも少々面倒くさいとも感じ、進めていきました。進めていくうちに、「あー、これでやっと堂々と『うちの子です!』と言える。」という喜びの感情が大きくなってくる一方、「そうか、この子は今まで私たちの子どもじゃ無かったんだ。人様の子どもだったんだ。」と、不思議な感情も湧き上がってきて、悲しく思えたのでした。
そして、小学校入学の半年前、日曜日の朝、まだ主人と私の3人で布団の中でゴロゴロとしている時、Rに「本当はお母さんのお腹から生まれたんじゃ無いんだよ。」と伝えました。Rは、『ダメだよ!』と一瞬涙を流しましたが、直ぐにテレビの戦隊ヒーローものに夢中になり、それからは何事もなかったかのように過ごしていました。おそらく、自分の心の中ではまだよく理解できていなかったのかも知れません。天真爛漫な性格に救われた気がしました。
そして年が明けて1月半ば、晴れて親子になれました。今では、「親子なんだから、一緒にいなきゃいけないんだよ!」と言ったりしています。時々ですが、「ドラえもんのタイムマシンで本当のお母さんに会いたい。」と言うこともあります。でも、ただ会ってみたいだけなのだそうです。いずれ私たちの知る限りですが、もう少し詳しく話をする機会が来ると思いますが、タイミングを見てうまく伝えられたらいいなと思います。
それから余談ですが、なぜかRは主人や私とも似ているらしく、何気なく入ったうどん屋の店員さんに、「あら、お父さんにそっくりね!」と言われ、私たちや同行していた知人は、クスリと苦笑いした事がありました。
これからも、我が子として生活していく上でいろいろな事があるかと思いますが、顔や性格も似てくるのかしらと思うと、ワクワクしてきます。
また、機会をいただけましたら、いろいろなエピソードを発表させていただきます。
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●二人兄弟 やっくんとたっくんのお母さん
やっくんは2歳(現在10歳)、たっくんは1歳(現在8歳)で、我が家の家族になりました。
8年前のこと。 ある日やっくんは、ベビーカーに乗ってお母さんとマーケットでお買い物。ところが、お店に入るや、「痛い~! 怖い~! イヤだ~!」と、大声でくり返します。『虐待でもされているのか?』と間違われるような、泣き叫ぶ声。野菜を選ぶのもままならず・・・。 しかしある時、事態は一変! 何が彼をそうさせたのか? ベビーカーに座るとニコニコ笑顔。そして、通りすがりの女性を指差しては、「おっぱ~い!」「あ~っ! おっぱいだ~!」を連発。すれ違う女性全てに、「おっぱ~い!」と叫ぶやっくん。こちらは赤面しきりで、いや~、あの時は笑うしかありませんでした。 その頃に通っていた保育園でも、やっくんは女性保育士さんのおっぱいに興味を示していたそうで、触らせて欲しいと言っていたそうです。保育士さんいわく「大人になってから『触らせて欲しい・・・』は困るけど、今ならいいですよ」とのこと。ホ~ッ。Y先生、その節は、ありがとうございました。 それからしばらくして・・・、ひな祭りの歌をうたうやっくん。でも、歌詞が何か変?! ♪♪ あかりをつけましょ ボンボリリ~ン  …(中略)…  ボ~インばやしのふえたいこ~ ♪♪ 「エーッ?! “ボインばやし”って??、“五人囃子”でしょ!」 なぜかここでもおっぱいが・・・。 お父さんは、それを聞いて「なんか、とってもステキな歌にきこえるな~」と、笑顔。 生まれてすぐから、乳児院で育っていたので、深層心理におっぱいに対する未知へのあこがれがあるのかと、考えさせられました。 こちらの声かけに、3度目でやっと行動し始めるのは、小さい頃から今も変わらないやっくん。宇宙と交信でもしているのかと思うような、ボケ~ッと物思う姿も、いまだ健在。それでも小4なりの、成長を遂げています。 水泳や野球のおかげか、持って産まれた遺伝のおかげか、ガッチリと肩幅が広く、重い病気にかかったこともなく、元気! 元気!で、日々発育中です。
昨年のこと。 ある日のたっくん、たまに行く回転寿司のお店で、忙しく旗を集めています。 店内には「わさび抜きの旗3本で、好きなおもちゃやお菓子と交換できるよ!」という張り紙がありました。なるほど、それで3の倍数のお皿の数をめざしていたのね。 涙ぐましい努力の結果、帰りのレジ脇で、たっくんはおもちゃを選んでいます。いつもは車やお菓子などを選ぶのですが、その日は様子が違いました。3つもらえるはずが、「1つでいい」と、なにやらカラフルなものを選んだたっくんです。そして、レジを終えた私に、「はい! お母さんにあげる!!」といって、手のひらにのせてくれたのは、お花のビーズでできたネックレスでした。 『な~んてステキなことが起こったのかしら!! なんだかとっても幸せな気分!! 自分のことばかりでなく、お母さんのことを考えてくれたんだね』と、たっくんの心の成長をつくづく感じました。 学校では明るく活発に過ごしている様子。 1年生の時、校内持久走大会では、歴代1位になりました。 2年生の今年は、大会が終わった後に、「僕、これ書いたんだ。お母さん、読んで~」といって、ノートを見せてくれました。
~こころがどきどき~
たっくん
じきゅう走大会に お母さんがきた。
すごく、きんちょうした。
お母さんの おうえんが きこえた。
ぼくは、がんばろうと思った。
それで三位になった。
ほんとうに一生懸命走ったね。よく頑張ったよ。でもたっくん、1位になれずくやしかったんだよね。お母さんはね、本当のこと言うと、たっくんが頑張りすぎちゃう時が心配。 「すぎるのは、いけないんだよ」って、学校の先生に教えていただいてから、時々、たっくんも言うよね。あなたが、いっぱい頑張っていること、お母さん知ってるよ。 「頑張りすぎないで・・・、よしよし・・・、かわいい、かわいい、たっくん!」 元々は、水難事故に備えて・・・と、3歳から続けているスイミングスクール。昨年末、たっくんは100mメドレーを2分5秒20で泳ぎました。お母さんには絶対無理! 泳げません! 参りました。
二人とも、明るく元気に育っています。 兄のやっくん、弟のたっくん、二人はず~っと兄弟だよ。 お父さんとお母さんの家族だよ。 大好きだよ~!!
お父さん(やっくん描) お母さん(たっくん描)
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●愛情のバロメータ- W.Y
Mちゃんと暮らし3年7ヶ月になりました。委託直後の子は乳児院・施設と同じ動きをして徐々に家庭ルールや生活習慣を覚えるということです。それは子どもの個性と子どものペースでそれぞれ違うものだと感じました。
Mちゃんは11ヶ月の赤ちゃん委託でした。まだ喋れない時期なので、不安定な気持ちになると、噛みつき・叩く・泣き叫ぶことで自分を表現していました。今でも自分の思い通りにならないと泣き叫びながら私を叩くことは続いています。
それに対して、Mちゃんが少し落ち着いたら「どうしたの?」と問いかけながら、怒った気持ちを言葉に出来るように対処しています。「言葉で伝えないとみんなに理解して貰えないよ。」と説明して毎回続けています。人によっては「叩く子どもには叩いて叱らなければ!」という考えがあるようです。不安感・ストレス・嫌だと思う気持ちは誰でもあるものだと思います。言葉にすることを繰り返し続けることでボキャブラリーも多くなり叩くより言葉で表現出来るようになると私は信じています。 児相担当者に子どもの希望を聞かれた時は「子育ての経験をしたいから小さい女の子。」と素直に応えました。乳児院・児相職員達のバックアップもあり研修先で巡り合ったMちゃんの話を頂きました。Mちゃんはパパの希望だったのですぐオッケーの返事をしました。面会・泊まりを経て3ヶ月で委託になったのは「異例の速さ」だったそうです。
その感動的な出会いを、友達の絵本作家に絵を提供して頂き「天使の階段」というオリジナル絵本(非売品)にまとめました。 幼稚園で第2子以上の子どもを出産するケースが多く「赤ちゃんはお腹から生まれる」というのをMちゃんはなんとなく知りました。
私は「ママはお腹壊れたからMちゃんを心で生んだのよ。」と伝えています。それに対しては複雑な気持ちのようです。
体験談にあるエプロン等を使う「誕生ごっこ」をチャレンジしてみました。2才のときはこの遊び好きでよくしていました。でも今は「Mちゃんは赤ちゃんの時にママのお腹から生まれたかったの!」と猛反発なのです。「過去は変えられないけど、未来は変えられるから、Mちゃんにとって素晴らしい未来にしようね。」と応えるのが精一杯でした。 委託直後も含めて寝る事が苦手な子どもの話をよく聞きます。寝たと思いベッドに置くと起きて泣き叫ぶのでMちゃんをラッコ抱っこのままほぼ毎日寝ていました。自分のことより、Mちゃんの気持ちを優先して行動出来ているので、仕事辞めてよかったなぁ~ってこの時期は特に思いました。今も辞めてよかったと心から感じています。
朝起きて1時間抱っこは2年続き30分抱っこに変わりました。今は幼稚園帰宅後必ず抱っこです。寝る前Mちゃんとお話していたら「寝たらどうなるの?」という質問でした。私は「おねんねの国に行けるのよ。」と応えどんな国かを2人で考えました。
Mちゃんはわたあめ大好きなので「わたあめの国に行きたいなぁ~」「シャボン玉の国もいいなぁ~」その会話を「おねんねの国」というオリジナル絵本(非売品)にしました。眠れない子ども達、寝るのが好きな子ども達、たくさんの子ども達にゆるやかないい夢を届けたい気持ちの作品です。
私なりですけど絵本もひとつの愛情表現なのです。他にもいろいろな形でMちゃんに愛情を与えているつもりです。でもMちゃんは抱っこが愛情のバロメーターみたいです。「抱っこしてくれなかったからママはMちゃんをキライなんだ。」とよく言います。「他のお友達はみんな歩いていてもママはMちゃんを抱っこしたよ。」私はそう応えられるように18キロになった重いMちゃんを周囲の非難を受けても抱っこをしています。
絵本作家である友達の作品の絵本・イラストは人に対する思いやりを感じます。現代社会で忘れられている、優しい気持ちと、癒しの気持ち、を作品に出会った殆どの方々に与えています。
「優しさと癒しの気持ちを込めたMちゃんとの関わりを絵本にしたいな。」今はその気持ちでいっぱいです。
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●二人の我が子たちと共に 中澤 道子
Kが我が家に来て、3度目のお正月を迎えました。まっ白な乳歯ののぞくかわいい笑顔の男の子が、大きなたくましい永久歯を見せて笑う少年に変身しつつあります。
私たち夫婦には11歳になる実子の長女がいますが、一人っ子よりは弟妹と共に育って欲しいと願い里親登録をしました。そして半年後、お気に入りのおもちゃと着替えを持って児童養護施設から5歳のKがやってきました。当時小学校3年生だった長女と幼稚園年長組のKは、3つ違いの本当の姉弟のようにすぐに仲良くなりました。
長女は結婚11年目にして授かった一人娘で、それこそ「眼に入れても痛くない」勢いの私たち夫婦と義母の愛を受けて育った子です。果たしてKに同じように接することができるのかという不安や、大事に育てなければという責任感の方が先立って、委託されてすぐ「ママ、パパ」と臆することなく呼んでくれるKに、心の底では戸惑いを感じていたような気がします。そんな時、「Kちゃん、かわいい!」とためらうことなく全身でKを受け入れている長女の姿を見て、これで良かったのだなと安堵したものでした。
二年半が過ぎ、現在はふたりで同じ小学校に通い、スポーツ少年団のミニバスにもそろって参加しています。大きな態度で姉貴風を吹かす長女と、末っ子の特権でみんなに甘えることを覚えたKとは、よく姉弟げんかもしますが、共に様々な経験を重ねて成長しています。長女が中学に入学する一年数ヶ月後には各々個室となる予定ですが、今は同じ部屋で二段ベッドに寝ています。
わずかな荷物で我が家に来たKですが、私の親戚や友人、長女の子育て仲間のママ友からたくさんの「お下がり」が届き、家族の中で一番の衣装持ちかも知れません。片づけの苦手な私にとっては、子ども二人分の身の周りの整理はいつも後回しになり、学期の区切り毎にパパの号令の下、不用品整理が行われることになります。一つ一つの品にKとの思い出も詰まっていて、こうして家族の歴史が積み重ねられて行くのだろうなと思います。
長女も思春期の入口に差しかかり、親子バトルも勃発する昨今ですが、Kに「ママは、大人なんだから、ねえちゃんに負けるなよ。」と言われたときは、姉弟への接し方の微妙なバランスを指摘されたようでドキッとしました。私たちの場合、里親になるということが家族の中にKという新メンバーを迎え入れた形となりましたが、家族というつながりこそ、その様なバランスの上に成り立つものなのかもしれません。
大切な家族であり、いとおしい我が子である二人の寝顔を見る時、これからもずっと仲良い姉弟でいて、様々な事に共感し合い、一生の宝となる子ども時代の思い出を共有して行ってくれたらと願わずにいられません。
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●Qは小学生の… 匿名希望
Qは小学生の男の子です。家に来るまで養護施設で暮らしていました。Qとの生活も2年が経とうとしています。
Qはなかなか周囲と馴染みませんでした。恥ずかしい、人見知りしてしまう、というよりも恐怖を感じているのではないか、という雰囲気すらありました。学校では落ち着いていられませんでした。授業妨害だと言われてしまう程で、周りからみるとQが大迷惑なのですが、Qも不安とうまくいかなさを感じていましたので、毎朝とぼとぼと振り返り振り返り学校に行く日々でした。その姿を見ては私も気が重くなるのですが、更に帰ってから大爆発!とばかりに気持ちを噴出させることもしばしばありました。
家での生活の中でも最初は不安がり、ささいなきっかけで時々パニックのようになっていましたが、しばらくすると退行をしました。遊ぶのも乳幼児が好むもので遊びたがりました。本当にその時期に出来なかったことを取り戻すようでした。小学生になったり幼児になったりQは忙しく、付き合う私もばたばたしていたように思います。
1年くらい経った頃、友達と放課後遊べるようになり、学校でも離席がなくなるなど、少し落ち着けるようになりました。家では赤ちゃんがえりもなくなりました。Qも家や学校、地域で安心して過ごせるようになってきたようでした。Qが反応性愛着障害であることも分かり、学校でもより色々な手だてを考えてくださいました。
今、Qは「じゃあ、行ってきます。」と元気に登校していきます。足取り軽く、時には遅れてもいないのに走っていきます。まだまだ色々ありますが、朝見送る時は、清々しい気持ちになります。
ようやく生活のペースも出来てきたように思います。この2年間、色々考えたりしましたが、喜びも沢山ありました。Qとの生活が色々なことに気がつかせてくれています。
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●受験、悲喜こもごも 中央ゆずりは会H.T
夏休み直前、自主勉など出来ない子だとわかっていたので、どこか塾を決めるよう指示。一向に動こうとしないので、「お母さんが決めてきてもいいの?」と言うと、「ああ」との返事。近所の子どもたちも部活終了後、入塾したと聞いていたので少しずつ集めていたチラシの中からピックアップ。急に成績が上がらなくても、宿題のない夏休み、家でゴロゴロされては親もストレスがたまると思い通わせる。
8月初め、さいたまスーパーアリーナで彩の国進学フェアが開催されると聞き、「友達と行ってみたら?」と勧めたが、「皆、行かないって」とこれも空振り。両親とも他県での受験、それも40数年前のこと。少々不安になりふたりで出かける。私立1校、公立2校どちらも受験生の名前を聞かれ、10分ばかり面談。一応希望校を確認。
9月、夏休みの塾は新しいせいかトラブったり、本人もあまり気乗りしなかったようなので、クラスの親友が通う大手の塾に変更。今回は本人が決めた。「切羽つまってからの入塾ですみませんがいろいろと相談に乗ってください。」と塾長に伝える。流石に穏やかで頼れる感じでした。授業料もそれなりですが。
10月、中学から、「私立のガイドブック」「進路の手引き」が配られ、いよいよ受験校を絞る段です。今まで何かにつけ他人事だった本人、急に自分を主張。担任の「かなり無理」の言葉も北辰の結果も無視。「友人と一緒の隣の市の高校」と決め譲りません。これでは私立のすべり止めを考えなくてはと思い、急ぎ塾長に相談。とにかく「個別相談になるべく早く予約を入れ行ってみてください。」と言われる。
11月15日指示通りに成績につながる書類を集め持参。本人よりも親の方がコチコチ。受付では、「入学願書お持ちですか?」と聞かれ、「えっ!まだOKもらってなのに?」と思いつつも、しっかりと受け取り、控え室へ。な、なんと!ひとつの教室が親子であふれていました。ひとりひとり呼び出され、別室で面談。種類を見るなり「うーん」と頭を抱えてしまわれた。そして「希望のコースには少々無理、下のランクでよいならお引き受けしましょう」と言われ「他校を受けるつもりがないのでどうぞよろしく」と頭を下げる。保護者と本人の姓が違うので、いろいろ聞かれると思い構えていったが、約10分程で終了。駅までの間、本人はランク落ちがショックだったようですが、親は心の中で、「ヤッタ!」と叫んでいました。
12月に入ると私立出願準備。願書の記入は、下書きから何度も担任がチェック。犯罪も多いせいか写真貼付けなど有、自分達の時には考えられません。冬休みは、年末年始以外は塾。本人は近くの神社にもお願いした由。
3学期がはじまり、最後の北辰が終わった翌日、ほっとしたのか、「ぼく、夕飯の味噌汁作る!」と言い出しました。初めて作った割には、まあまあの出来。因みに今日は成人の日。5年後の息子は想像がつかないが、少し楽しみ。どんな青年になるだろうか。 10日後の22日、私立受験。朝から冷たい雨、雪にならなくて良かった。吹上駅まで車で送る。思ったより難しかったと帰ってくる。26日発表。やはり下のランクで合格。
それから間もなく、内の壁に2つ目の穴が誕生。(1つ目は中2)「もっと開けたい!」というのを辛うじて制した。以前、親類のもっとおとなしい子の例を聞いていたので、「やっぱり来たか。」と思った。男子の方がプレッシャーに弱いらしい。
2月初めの前期公立受験。案の定、同じ中学から4人受け、1人だけ合格。残念!さてと、残すは後期のみ。「ラストスパート!」と声を掛けたいけれど、本人はいたってマイペース。机上の“北野天満宮のお守り”(修学旅行)神様も扉を開けたり、閉めたり、さぞ迷っておられるでしょう・・・。
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先輩里親さんから

●里子の自立支援体制の確立を願う 新井 裕
里親が子供の社会的養護の場と位置づけられ、里親制度が見直されました。その結果、研修制度の充実など里親支援に向けた制度改革が行われました。しかし、まだまだ不十分だと感じています。とくに問題なのは、18歳以降(里親措置解除後)の里子の自立援助体制です。昔なら18歳になれば家を出て働くのが当たり前でした。しかし、大学を出ても就職をするのが厳しい時代です。とりわけ、知的障害、引きこもりなどの子の自立は極めて困難です。
実は昨年、措置解除近い障害児を持つ里親や、措置解除後も自立できない子を持つ元里親が集まって、何度か悩み相談会を行いました。児童相談所は18歳までは何かと相談に乗ってくれます。里親会も里子や里親にとってたよりになる相談の場です。しかし、18歳を過ぎると児童相談所も里親会も、守備範囲を超えてしまいます。措置解除になれば子供は自分で人生を切り開いていかなければなりませんので、里親は里子が自立できるよう一生懸命育てます。しかし、障害を持っていたり、引きこもりになったりしたとき、里親や本人の努力だけではどうにもなりません。障害者として認定を受ければ、就労に向けた支援機関もあります。
しかし、認定を受けるほどではない軽度の障害を持つ場合は、何も助けがありません。その場合、自立できない状態で放り出す訳にもいかず、措置解除後も里親が面倒を見ることになります。しかし、里親も年を取り、いつまでも面倒が見られません。そんな悩みを相談したのです。お互いに悩みを言ったり、聞いたりすることによって、少しは気が休まります。でも、問題は何も解決されないのです。里子は里親がいるからまだましでしょう。児童養護施設を出た子供達は、どうなるのだろう?と心配になります。
国も県も施設から里親へと施策の転換を図っています。しかし、措置解除後の里子の自立支援に向けては、ほとんど何も講じられていないのが現実です。いたずらに里親委託を進めることは無責任です。もちろん、里親にも本人にも責任があります。だから共通の問題を抱える里親が立ち上がらなければと考えています。
社会的養護と唱える以上は、行政としても子供の一生を視野に入れ、自立したくてもできない里子達への支援についても、目を注いで欲しいと願うものです。
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●自立へ S・K
里親になって25年、9ヶ月の男の子、6ヶ月の男の子、1.7ヶ月の女の子、親類にも認められ、毎年のお年玉も、しっかりゲット。 入学 卒業も皆に祝って頂きました。地域でも子供会に参加、太鼓で活躍、サッカー少年国と、学校では6年連続リレー選手をやり通しました。高学年、思春期には、次から次と悩まされましたが、一つ一つ乗り越える度に、本当の親にと鍛えられました。
子育とは、自立する為の訓練の時期だったように思います。
失敗しては遣り直し、思春期も、大人になる為の助走。
大学も中退、高校も卒業3ヶ月前で中退、中3頃から非行の道へ、失敗だらけの子育でしたが、生活設計もしっかりと、ゴールイン真近のもう1人は、子供の頃の夢であった、観光バスの運転手へ夢実現、非行に走った子は、居候をしながら親元ベッタリ、まだまだ助走中。最近は、思春期、真最中の高校生を受けて、高校中退、問題行動あり、6ヶ月で不調となってしまいましたが、今は仕事に就き元気にやっている様子。時々顔を見せにきています。家庭の味、家族の絆を体験できたことが、とても良かったのではと思います。今は高2の女の子 クリスマス、カウントダウン、お正月、春休みとイベント一ぱい。キケンも一ぱい。ハラハラドキドキの毎日ですが、軌道修正しながら無事卒業できるよう応援していきたいです。
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●おばちゃんからお母さんに変わって T・Y
17歳の娘が高校を卒業して、委託解除になったら里親活動からは身を引いて、少し自分達の生活を中心とした生き方をしようと、夫と話し合っていました。
また、年齢的にも無理だろうとも思っていました。しかし児童相談所から委託の話があると、心は子どもの方へ向かってしまうのです。家族と話し合うと、やっぱり私たちの年齢を心配して反対の意見もありました。私達は健康が守られているならばこのお話をお受けしようと、面会に行くことにしました。
養護施設の先生方も私達の年齢ではと慎重な様子でした。子どもの様子を見ながら時間をかけ、それぞれの立場からの意見を尊重しながら約1年6ヵ月かけて委託への話が進められて、9歳の男の子が9番目の委託となりました。
この様な経過をたどることによって私達は施設の先生方と親しくお交わりをさせていただきました。そのことによってK男は、別れの淋しさや新しい生活への不安もあったでしょうが、私達と安心して接する様になりました。
これまでの委託の形とは異なっていましたが、児童相談所、養護施設、里親の連携を保ち、養育する大切さを学びました。
K男も家族とは親しくなっていましたが、転校する学校への不安と緊張がありました。お隣の家族方がとても親切にしてくださり、1歳年上の男の子もいて仲良く遊んでくれ、K男を家族ぐるみで受け入れてくれました。また、地域の方々も私達里親を理解して下さり温かくK男を見守って下さり助けられております。
ある日、K男の友だちから質問を受けました。「K男君は、おばちゃんの子ども?」「そうよ」「じゃあ、なぜおばちゃんて呼ぶの?うそでしょう」との会話のやりとりに「これはまずいな」と思いました。
責任を持って養育することは、両親としての自覚を持たなければなりません。今日からお父さん、お母さんと呼ぶよう話し合おうとK男に問いかけましたら、「うん、いいよ」の一言で、おばちゃんからお母さんに変わったのです。
5,6歳児の様に、「お母さんあのね」の連発、姉たちからも「やっとお母さんと呼ぶようになったね」と」過去の自分の事を思い出すかのように話しています。
呼び方によって子どもと私の関係も変わってきました。お母さんの言葉の重み、それは愛着関係にも繋がって、甘え甘えさせることができるのです。うっかりすると経験という傲慢さで見失うところでした。
K男が巣立つまで、あせらずに養育里親として歩んでいきたいと願っています。
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●皆さん、聞いて下さい 里親T.N
子育て奮闘中の里親の皆さん、聞いてください。とっても嬉しいことがあったのです。
あの、小さくて心配したA君がパパになったのです。初めて会った小学5年生の時、紹介されなければ2年生位かなと思われるほど小さな子だったA君が、持ち前の明るさと人なつっこさ、努力でとても可愛いお嫁さんと、彼に良く似た赤ちゃんとの家庭を手に入れたのです。生後たった6日しか母親といられなかった彼ですが、今は彼女の両親と同居して賑やかに暮らしています。
元日には、これから家族みんなで乗れるようにと買い換えた大きな新車でやってきて、うちの息子に「使うときはいつでも言ってよ。貸すから」なんて言っていました。そして息子の子には叔父として、下の里子には兄貴としてお年玉を渡すときの顔のなんと頼もしげなこと。出産祝いを頂いた従兄や兄弟達にお返しの品を用意してきて、お礼の言葉を添え、渡していました。こんなことをきちんとできるのも、親が同居してくれているお蔭かと感謝しています。
我が家で暮らしたのは、小学校6年生から高校3年生までだけでしたが、ただでさえ色々ある思春期を、新しい環境の中で過ごしたのだから彼も大変だったし、私たちも大変でした。転校して学校にも慣れたし、友達も沢山出来たみたいと安心したのも束の間、万引きを繰り返すし、タバコ、バイクで補導され、自転車窃盗罪で警察まで身柄を引き受けに行ったこともありました。幸い、熊谷やまなみ会には「思春期を乗り越える会」というサロンがあり、そこで先輩里親さんに話しを聞いてもらえました。話を聞いてもらえるだけで随分心が軽くなったものです。
高校では学期末の成績不良者の集まりに、毎回のように呼び出される超低空飛行の成績でしたが、何とか卒業が出来ました。大学入試を考えるような人には、高校卒業は当たり前でしょうが、彼の周りでは当たり前ではないのです。仲の良かった友達はほとんど中退してしまって、働いてお金は自由に使えるし、車で遊びに来る子もいて、彼も辞めたいと幾度か言い出しましたが、よく頑張りました。あの時頑張って卒業できたから、今の仕事に就けたのだし、彼女との結婚も出来るようになったのだと思います。
就職の際も面接で、自分の生い立ちをすべて話したそうです。そして、そのまま在学中からアルバイトをさせていただき、職親さんと呼べるほど面倒見の良い親方のもとで、今日も頑張っています。
思えば我が家にいる間はずっと問題を起こしていたような気がしますが、過ぎてしまえばそんな事もあったな程度で、今の絆を生む為に必要な事だったのでしょう。 今、思春期真っ只中のお子さんを持つ里親さん、もし嵐のように荒れる日があっても、どうか遠くを見て先を楽しみに、今をやり過ごして下さい。きっとA君のように、育てた親のみ味わえる喜びを持ってきてくれます。
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●里親の道(家族とのつながりを大切にして) 所沢里親会里母T.Y
3歳5ヶ月で委託になったT男は、現在大学3年生です。小学校入学までという条件での委託でしたので、T男は6歳になって、3年ぶりに父親と祖母に面会をしました。その時T男は私の洋服の端を手で握り、とてもいい子にしておりました。あとでT男はその時の心境を語ってくれました。「いい子にしてなかったら、連れて行かれると不安だった。」と。
私にとっては嬉しい言葉でした。祖母はその様子を見てか、「このまま長期(委託)でお願いしたい。」と申し出てくれ、私も安心してT男との生活が続けられたのです。
9歳になって突然、父親が重症の病気であるとの連絡があり、病院に面会に行き、その後もときどきお見舞いに行きました。18歳になり委託解除になる前にT男の選択した道は、大学進学、私たち夫婦との養子縁組の希望でした。
20歳になり入籍するに当たって、夫と私は条件を出しました。「養子縁組をしても、あなたの病気の父親を大切にしてほしい。そして自分から入籍する意志を伝え、許可を得てほしい。」と。この約束の上で、T男は私たちの養子として入籍することになりました。
里子としての立場から、養子縁組が成立してから、T男の様子が変わりました。里父に対する接し方が今までとは違い、会話が多くなり、里父を敬う態度を感じます。自分の立場が確立され、精神的な安定感があるのでしょう。
子どものそれぞれの生き方、目的が決まるまでは、長い時間と、忍耐を里親は求められますが、子どもたちの埋もれている可能性が開くその日を信じて、里親の道を歩んでおります。
T男は大学で学びながら、時々実親とも会い、我が家から巣立つ日も近いことでしょう。
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● 小春日和のある日・・・・・ 熊谷やまなみ会A里親
小春日和のある日、公園のそばを通ると、砂場に何組かの母子がいて、楽しそうに遊んでいました。その笑顔がとても幸せそうに見えました。「きっと私はあの輪の中には入れない」私一人がかわいそうで不幸だと思い込んでいました。子どもさえいれば私の人生は幸せなのだと勝手に決めていました。不妊で悩んでいたもう20年以上前の話です。
その後、私は実子と里子と子ども2人のお母さんになる事ができました。願いが叶った訳です。さて、私の人生はバラ色なのでしょうか・・・?
里親さんの中には、「子育てはとても楽しい」「何の苦労もない」「何十人でも育てたい」とおっしゃる大変愛情深い方がいらっしゃいます。本当にすごいです。尊敬せずにいられません。私は子育てで、もちろん笑いもしましたが、同じくらい泣きもしました。幸せで楽しいときもあれば、悲しく苦しい時も、悩み後悔する時もあったというのが、子育てに対する私の正直な気持ちです。
実子が思春期で、私が一番辛かった時期にその実子に言われたひと言です。「お母さんはお母さんの好きな事をやればいいんだよ。お母さんの人生なんだから」この言葉で私はハットさせられました。
唯一子どもを産む性、つまり女として生まれた自分。そして長男の嫁である自分。跡取りを産むべき自分。もっと考えていくと、○○さんちの娘さん、○○さんちのお嫁さん、○○さんちの奥さん、○○ちゃんのお母さんetc.私は世間体と言うか役割で今まで生きてきて、だから良いお母さんでありたいとこだわる自分。でも本当の自分、私の個はどこにあるのだろう?と気付かされたからです。
私は私。男だろうと女だろうと私は私。親であろうが無かろうが私は私。この楽な気分。これを、里親研修会等でよく耳にする『自己肯定感』というのでしょうか。
それまで、里子との相性の悪さを悩んだ日々もありましたが、私が私でいいなら、里子も里子でいいのだと受け取れるようになってきました。
さて、願いが叶った私の人生はバラ色なのでしょうか?
バラ色の時も、またそうでない時も、人生は色々だというのが私の答えです。実子と里子、この2人のおかげで私は多くの事を学ばせてもらっていると実感しています。そして多くの感動も、子育てしているからこそ味わえるものなのだと思っています。皆様はいかがでしょうか。
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●我が家では・・・・・ W.Y
我が家では10年前に里親登録をし、8年前に小学1年と中学2年の姉妹を里子として預かりました。最初の頃は赤ちゃん返り、試し行動、嘘や盗み等、どの里親も一度は悩む共通の体験をさせていただきました。こうした問題行動は、段々と扱い慣れてきますし、起こす回数も減ります。
赤色と黒色しか使わず、暗い絵ばかりを描いていた子も段々と明るい色を使い始め、時折、賞状をいただくまでになりました。どれ程勧めても入らなかった近所の鼓笛隊にも自分から入隊を希望し、毎日のように楽器練習の音が子どもの部屋から聴こえてきます。
2年前から児童虐待を受けた小学1年の女の子も預かるようになりました。虐待児は、問題行動の大きさも違います。学校の担任の先生もその子を扱いきれずに数か月間、休職する羽目になりました。
私達夫婦で対策を練ったり、試行錯誤の取り組みですが、これまでの里親体験と専門里親認定研修で学んだことが大いに役立っています。
「三人も預かって大変でしょう」と言われますが、先輩の里子姉妹が勉強や生活の面倒も見てくれて、私達夫婦も息抜きの時間が得られて、大いに助かっています。
我が子同様の愛情をもって育てたなら、どんな子もきっと明るく、心身共に健康な子に育つのだと、そう信じて取り組んでいます。
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里親へのすすめ

●リタイヤ直前直後の皆さんへ 中央ゆずりは会O.R
もう一度子育てに参加してみませんか! 息子や娘が独立して、空き部屋、机もあるし、特別準備も要りません。愛があればできます。 いまどきの中学生、高校生にはハラハラドキドキさせられますが、それが張り合いというものです。私どもは70代の夫婦ですが、年甲斐もなく?奮闘しております。
同世代の友人には、「こんなでっかいスニーカーが玄関にひっくり返っていれば防犯になるね。」とからかわれています。 研修もあり、里親同士の情報交換もあり、愛情があれば大丈夫です。 さあ チャレンジしてみましょう!!
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●今日も朝早く・・・・・ 南はなみずき会C里父
今日も朝早く「おはよう!」と元気な声。少しずつですが我が家の生活に馴染んできた6歳の男の子です。生活全般が覚束なかった1年前とは比べものにならないほど、ここ最近の成長は本当に嬉しく思います。何らかの事情によって、親元で生活できない子どもが大勢います。その子どもたちの多くは、児童養護施設での生活を余儀なくされています。そしてその多くが「家庭で安心して生活する」ことを体験せずに社会に出なくてはなりません。このことについて私はとても心が痛みます。施設の生活が全部悪いという訳ではありません。
ただ、「家庭で安心して生活する」といったありふれた毎日の繰り返し、その積み重ねこそが、やがて大人になる子どもたちの原動力であると思います。安定した人間関係の中で、寝食を共にし、楽しみ、喜び、喧嘩して泣いて、怒って、仲直りして、人間として大切なものを心に蓄え、人間にとって必要な「絆」を持てるのではないでしょうか?
血の繋がらない里子と里親ではありますが、「家庭で安心して生活」しているうちに、いつのまにか「絆」が生まれ、「家族」になっていきます。
どうか一人でも多くの子どもが、家庭で安心した生活を体験し、一緒に歩んでくれる大人に出会えますように。共同生活は決して楽しいことだけではありませんし、人知れず涙も多いかと思います。でも、きっと、微笑み合える日が必ず来ます。
「一人でも多くの方に『里親として生きる選択』をしていただきたい!」
-里父の願いです-
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●私たちは実子2名・・・・・ 熊谷やまなみ会B里親
私たちは実子2名、里子3名の家庭です。今から27年前、長女が生まれた時に里親になることを決心しました。長女の子育てで、子どもにとって親は不可欠だと確信したためです。
里親登録から数年後に、8か月の男の子を預かりました。その子が中学生になった時に8歳の男の子を、その子が11歳になった時に、2歳の子を預かりました。現在実子が27歳と24歳、里子が20歳、14歳、4歳と賑やかです。私たち夫婦もだいぶ年を取りましたが、年を取るにつれ子どもたちの愛おしさが加わります。
実子も里子も関係ありません。みんな大切な我が子です!
里子の中には、アレルギーのひどい子、喘息持ちの子などがいて医者通いが絶えません。子どもを育てる事は大変ですし、子どもを持つがゆえの悩みや苦労もたくさんあります。
でも、振り返ってみると、その何倍もの喜びを子どもたちがプレゼントしてくれたことを実感します。子育てを通して、自分たちが育てられ、励まされ、“子どもっていいな!”とつくづく思わされる昨今です。
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●私たち夫婦は・・・・・ 熊谷やまなみ会C里親
私たち夫婦は共に還暦寸前、でも4歳の男の子のお父さん、お母さんです。1歳10か月で我が家の7番目の子となったこの子のお陰で、家中が明るく賑やかです。 よく食べ、よく寝て、よく遊び、いたずらも半端ではありませんが、本当に丈夫です。
クルクルの栗色の髪、大きな瞳で、外を歩けば若い女の子たちから「チョー、可愛い」と大もてです。我が家にどうしてこんな良い子が授かったのか不思議にさえ思えます。
我が家の里親登録は、平成10年、末の娘が中学3年の時でした。里親体験者の話を聞く機会があり、家族相談してすぐに児童相談所に申し込みに行ってしまいました。
初めての里子のA君とはその年の内に会い、5年生の終業式の日から我が家の一員となりました。小さくて心配をした彼も高校生の時には、ぐんと伸び、思春期も何とか乗り越えて、この春、職親さんとも呼べるような面倒見の良い親方さんの所へ就職できました。仕事場近くに部屋を見つけ、引越しも友達を頼んで済ませるなど、すっかり大人になりました。
小学6年から中学、高校と一番難しい時期を我が家で過ごしたのだから、いろいろあって当然だったのですが、今になってみればいろいろあって良かった、いろいろあったからこそ今があると思えます。子どもの自立が親にとって一番の望みです。A君は私たちに励みを与えてくれました。
「家族力」というものがあるとすれば、子どもを真っ直ぐ育てていくのは、「家族力」ではないでしょうか。だから里親さんが必要なのです。
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●私たち夫婦は・・・・・ 熊谷やまなみ会E里親
私たち夫婦は、子と過ごす生活を望んでいるさなかに、里親制度のパンフレットを見ました。家庭で暮らしたい子のために子育てを終えた方や、これから子育てをしたい方のために、里子を迎えて里父、里母となるための手続き、里子養育のための配慮などが書かれていました。
里子委託後は、里親制度のもと養育里親として、または、普通養子縁組や特別養子縁組をすることなども紹介されていました。早速、私たちは市役所福祉課を通して登録しました。里親研修会に参加しながら子の委託を待ちました。ある日、児童相談所から女児委託の連絡が入りました。
マッチング、交流、お泊りと順調に進み里子委託となりました。子は家庭に入るといろいろなことをします。いわゆる試し行動です。そんなときは、愛情で包んであげると子は安心して素直になってくれます。この繰り返しで子も親も成長していき、親子の絆がより強く結ばれていくと実感します。愛情が困難を解決して、多くの喜びを与えてくれます。子がいるからこそ感じる充実、これからも大切な子を守っていきたいと思います。
里親会は、研修会、レクリエーション、里父会、里母会などがあり、里親同士交流の中で、励ましあい、子育てパワーを頂いております。また、児童相談所との連携により、御助言、御協力のもとより良い子のために、里親の啓発と拡大のために活動を行っております。是非、皆様も里親となってこの喜びを分かち合いませんか。
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●Mからのたくさんの贈り物 越谷さくらんぼの会T里親
“結婚すれば子どもは出来るもの”と思っていた私ですが、まさか自分が不妊治療を受けるとは思ってもいませんでした。しかし、思うような結果が得られず、最後の体外受精の手術が失敗に終わった時は、ひどく落胆し、将来についてとても悲観的な気分になっていました。そんな時頭をよぎったのが「里親制度」。いろいろ調べていく中で、ある北海道の里親さんと知り合いになりました。その方は、ご自分達が里親になった経緯と、今里親として幸せに暮らしている様子を教えてくださり、「落ち込む事はありません」という励ましの言葉と子どもに恵まれなくても「里親」という素晴らしい選択肢があることを教えてくださいました。今でもその方の暖かい心には感謝しています。
そして、里親登録をして一歩を踏み出してから半年後にかわいい3才の女の子Mを紹介されました。“縁”があったのでしょうか。不思議とMの事を他人という気が全くしないのです。自分が産んだ子のような錯覚に陥ります。私たち夫婦とも、同居の主人の両親にも不思議と違和感無くすぐに馴染みました。そして、一緒に暮らし始めてまだ1年も経って降りませんが、短い間にMのおかげで多くの方と知り合い、多くの幸せなひとときをいただきました。また、Mのおかげで夫婦の会話も今まで以上に増えました。そんなMももう4歳になりました。
時々私はMの乳児院時代のアルバムを見ます。そこには私の知らないMがいます。こんな小さいのに良く今までひとりで頑張って生きてきたなと思い、目頭が熱くなる事がしばしばあります。またMの笑顔を見て思うのは、“子どもの寝顔ほどかわいいものはないなあ”という事です。そして、そのたびにこの子を幸せにしてあげなければいけないといつも思うのです。でも子どもを幸せにして上げなければならないと思う私たちは、いつもこのMがいるだけで、“幸せな気持ち・喜び”をたくさんもらっているのだということを忘れてはならないのです。
そしてもっと「里親制度」を広く多くの方に知っていただき、親も子どもも幸せになっていただきたいと思うこの頃です。
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― 実子の声 ―

●Y君に感謝 ゆうみ
私は、現在大学4年生で、22歳の実子です。
Y君が来てから4年が経ちます。Y君が来てから、我が家の雰囲気はすっかり変わりました。といっても、Y君が来る前を思い出せないので、Y君の存在はとても大きいというか、もう当たり前のことなんだと思います。
Y君が里子として来るまでのことは、自分の中で不思議な経験だと思っています。私の中のイメージでは、他人の私たちが子供との関係を築き、慣れるまでには相当の時間がかかると思っていました。
実際、両親は毎日のように、関係を作るために乳児院のY君に会いに行きましたが、しばらくは「今日もずっと泣いていた」という話を聞いていましたし、私も妹も何度か乳児院に行きましたが、その時は「この子が弟になるの?ほんとに?」と半信半疑というか、フワフワしたものでした。
半日遊びに来たり、一日遊びに来たり、一泊したりと、家族皆と接する機会が少しずつ多くなってもなかなか実感が湧きませんでした。というか、戸惑いがあったのかなと今は思います。Y君が、里子として我が家に来た時に、初めて「本当なんだ!、本当に家族になるのか」と、一気に実感が湧き、それからは以前の戸惑いが無かったかのように、Y君が我が家にいることは、当たり前になりました。
私は、子供と関わる仕事をしたいと小さいころから思っていました。そして今、Y君をきっかけに、児童養護施設や乳児院で働きたいという自分の進路もしっかりと決まり、この経験を通じてたくさんの子供たちの力になりたいという目標もできました。
Y君には、今までも、そしてこれからも、たくさん感謝し続けると思います。
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●二人のやんちゃな天使 宇田川 琴美
私の家族は、ずっと4人家族でした。その家族構成が変わる日がくるなんて、考えたこともありませんでしたし、これが数年後には6人に増えるなんて、全く想像できませんでした。
私と妹が成長し、中学・高校と進むにつれて、段々と家族間の関わりが希薄になってきていました。家族みんなで出かける、ということもほとんどなくなっていました。
しかし、私が高校1年のときに4歳のS君が里子として委託されたことで、私たち家族の生活は大きく変わりました。家族全員、S君のことが可愛くてしょうがないから、たくさん関わりたいし、いろんな経験をさせてあげたいと思いました。彼がいるからこそ、どこか楽しいところに出かけよう、という気持ちになりました。小さい子供がいる生活はこんなに楽しいのかと思い、それをとても幸せに感じました。S君が来たことで、家の雰囲気がそれまでよりすごく明るくなったと思います。彼の可愛い寝顔やおかしな寝相を見ると、心が癒されました。また、「今日Sが、○○していて可愛かった」という話題を家族の中で共有する時間もとても楽しいものでした。彼がいてくれるおかげで家族に笑顔が増えました。
普段は家族の一員として考え、楽しく生活をしていますが、実は産んだお母さんがS君にはいる、ということを感じるときは、すごく悲しくなりました。彼はごくたまに、自分のお母さんのことを口にすることがあります。当たり前のことなのですが、彼はお母さんに会いたい、暮らしたい、と願っているようです。その時、彼の中には自分たちには知ることのできない世界があることを痛感し、どうしようもなく寂しい気持ちになることもありました。
それでも今は、我が家に来る前のS君も、お母さんに会いたいと願っているS君も、我が家で楽しいそうに過ごしているS君も、すべてをひっくるめて愛していこうと思っています。
そして、昨年の12月に、1歳半の女の子、Kちゃんが新しく私たちの家族に加わりました。とても愛らしくて、我が家のアイドルとしてみんなから可愛がられています。世界一可愛いのは、うちのKだと、いつも思っています(笑)。彼女がきたことで、またより一層、家の雰囲気が明るくなりました。
2人は、私たち家族にとって天使なのだと感じます。2人のおかげで、家族みんなで暮らせることがどんなに幸せなことなのか感じることができました。そして、それができなくて我が家に来た2人を家族の一員として心から愛し、幸せにしてあげたいと思うようになりました。S君とKちゃん,2人が家族となってくれたおかげで、家族一人ひとりが成長し、本当に暖かい家庭になったと思います。一人ひとりの気持ちが優しく、穏やかになってきたように感じます。
4歳のときに来たS君は今、小学3年生になりましたが、まだまだ甘えたがりやな部分があります。家族が出かけるときは「いってらっしゃい、頑張ってね」を、早口で何回も繰り返し言いながらハイタッチで見送ってくれます。寝顔は相変わらず可愛く、寝相はアグレッシブになってきました。
Kちゃんは、2歳半になり、段々言葉が増えてきて、ますます可愛くなりました。ありえないくらいやんちゃで、一瞬たりとも目を離すことができません。
今、6人家族として毎日楽しい生活を送ることができて、本当に幸せだと感じています。2人が我が家に来てくれたことに心から感謝していますし、これからも家族みんなで、仲良く笑顔で暮らしていきたいと願っています。2人が将来大人になったとき、「自分は里親に育てられたけど、本当に幸せだった」と感じてもらえるよう、これからもたくさんの愛を注ぎ、笑顔溢れる家族でありたいと思います。
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●懸け橋になりたい N.I
我が家は、両親と父方の祖父と子供4人の7人家族です。兄は1歳半で我が家に来て現在高校2年生、2歳8か月差で生まれた僕は中学3年生です。両親は、結婚してから15年間子供に恵まれなかったので、「兄が連れてきた」と祖父母はとても喜んでいたそうです。それから数年は短期で何人か預かっていましたが、僕が小学校2年生の時、現在小学4年生になる弟が来ました。その時に書いた作文です……
7月ごろに、川口のにゅうじいんから弟がきました。その弟はかわいくて「かわいがれそう。」と思いました。その日、ぼくたちが帰ろうとしたら弟がなきました。ぼくも帰りたくなかったです。2回目に行って、弟とあそびました。そしてだんだんなついてきました。そしてひきとったら、弟はごはんをいっぱい食べるのでびっくりしました。 それで、ぼくのおにいちゃんのサッカーのし合につれてくと、4年生の人たちにかわいがられて、はずかしがっていました。それで、5年生の人にもかわいがられるようになりました。あとぼくが一番びっくりしたのは、体じゅうが19.5キロだったことです。 その弟が好きなアニメはアンパンマンでした。ぼくは、アンパンマンのビデオを見させてあげました。 それから何日かたって、だんだんけんかをするようになりました。でもやっぱり弟はかわいいです。
今年7月下旬から、6歳の男児が家族に加わりました。かつて僕がしていたように、お風呂に入れてあげたり、一緒に遊んであげたりといったことは、小学4年生の弟がやってくれています。
先日ディズニーシ―に行った際、6歳の男の子はとても楽しそうにしていました。帰りがけに、「家族…それはそばにいるもの」と言いました。僕は、多くの人々の中で1日過ごしたことで、家族の距離の近さを感じたのかなぁと思いました。そのあとすぐ疲れもあって、眠ってしまった弟を駐車場まで抱っこしてあげました。かつて父がしていたことを僕がするようになりました。腕に彼の重みを感じながら、家族になったんだなぁと思いました。
かつては自分が里親家庭に生まれたことに対し、いらだちや疑問を感じたこともあり、今も時々感じてしまうこともありますが、弟たちが僕を信頼してくれるようになると、わだかまりも少しずつ減っていきます。また、施設に入所している子供たちの境遇を肌で感じることがあり、「家庭」という環境で育って欲しいと思うようになりました。里親に登録しようとしている家庭の実子の人たちは、最初は抵抗があるかも知れませんが、一歩踏み出してみましょう。
僕たち家族のように実子がいる方が、委託されてきた子供たちは早く家庭に馴染む気がします。また、地域社会に馴染む場合には、僕たちが懸け橋になれると思います。僕のような立場の人が一人でも増えることを願っています。
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里子の声

●『15歳』 僕の今の気持ち T・I
昨年の暮れ、僕の家では3歳の女の子(M) と1歳の男の子(R)を3週間預かりました。Rに初めて会った時、小さくて可愛いと思いました。母は僕が我が家に来た時と同じくらいだと言いました。「自分もこんなに小さかったんだなあ」と感慨深かったです。
初日から僕はRとお風呂に入りました。母の足にしがみついて大泣きしてすごく大変でした。でも一週間もすると僕とお風呂に入るのが大好きになって、「キャッキャッ」と嬉しそうに騒ぐようになりました。「自分もこうしてこの家に馴染んできたんだなあ」と感じました。母は「あなたの方が大変だった」と言いました。でも14年たった今では、この家族との日々の生活がまったく自然です。
3週間たって、Rたちは自分の家に帰っていきました。急に家の中が静かになって、笑い声や泣き声が僕の心の中に響きます。
僕はずっとこの家にいます。もちろん産んでくれた母に会いたいと思います。小学校を卒業する当時、今の氏名にぎこちなさを感じていました。何かスッキリしなくて、友達を冷やかしてみたり、一人だけ卒業制作を出さなかったりしました。
けれども中学に入り、僕と友人は多くの体験を積み重ねました。今は不思議なことにあの頃のモヤモヤは消えています。友人たちとの体験を通して、僕は自分に少しずつ自信がついてきたような気がします。僕を産んでくれた母も、育ててくれた両親も今は同じくらい大切に思えます。
元気に笑うRの中に小さな僕を見て、僕がRを大事に思うように、育ててくれた両親は僕を大切に思ってくれていると理解できます。
僕のような子どもを育ててくれる里親が、もっともっと増えて欲しいと思います。なぜなら、僕は自分に自信が持てる今の生活が幸せだからです。
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●私はこんな生き方をしたい Y・Y
私は、感謝の気持ちを忘れない生き方をしたいと思います。また、人に流されない自分にしかできないような生き方をしたいと思っています。
私は、施設から里親さんに引き取られて今まで生活をしてきて、普通の家庭とは違う生き方をしてきた中で、人より色々な思いを経験してきて、どうしてわたしだけ?とか「生まれてこなければ良かった」と思うことは沢山ありました。
でもその中で私を支えてくれたのは第2の親になってくれた父や母、また友達や先生でした。みんなから支えられて教えられた事は、「私には私だけの道がある。苦しい思いや辛い思いや色々な経験を多くしてきたからこそ他の人の痛みや気持ちを分かってあげられるし、自分にしかできない事がある」と言うことでした。
だから私は私のまわりの人達が私の事を支えてくれていたように、色々な人の心の支えになりたいと思っています。また、その支えをいただいている生活がどんなに幸せか、当たり前にならないように、毎日一人一人に感謝の気持ちを持ち続けていける生き方をし続けていきたいと思っています。
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● 家族 里子 O・Y
私は現在、昼間、会社に勤めながら夜間の大学に通い、学校の教員を目指し勉強に励んでいます。会社の独身寮で生活しているのですが、里親さんの元を離れ、これまでどれだけ多くの恩恵を受けていたのかを実感する日々を送っています。現在も里親さんとは深い交流を持っており、正月やお盆など時間のある時に顔を見せに帰り、家族同然の付き合いをしています。中学生の頃から苦手だった、里父とも仲良く酒を酌み交わすようになり、里母も私が帰ってくるのを楽しみにしてくれているようです。私自身、里親さんを本当の「家族」と思っています。
正直に言えば、一緒に生活をしてはいても、自分自身で壁を作り、「所詮は他人」と思っていた時期もありました。里親さんも何度も私を手放そうと考えたことと思います。私にも苦しい時期が何度もあり、実の親や親戚から捨てられたようなものですから、自分の価値や、必要性を見出すことができず、死んでしまいたいと思うこともありました。
周りの好意を素直に受け止めることができず、自分を不幸な人間とばかり嘆き、自分自身に甘える卑怯者でした。
しかし、そのような状況のなかで、時に厳しく、けれど決して見放すことなく、私を育ててくれた里親さんがいたからこそ、今、私はこうして夢を見つけ、生きることができているのだと思っています。本当に深く感謝しています。また、友人や恩師、児童相談所の方々等、多くの人の支えのなかで自分が成り立っていることに気付き、自分の価値や必要性という手前勝手な悩みを克服し、自分がいかに多くの人たちから思われているのかを理解することができました。きっと、里親さんが私を手放すという判断をしていたら、私は人との繋がりや、感謝の心を知ることなく、ひどく荒んだ人間になっていたでしょう。
連日、幼児虐待や育児放棄、家庭内暴力などの家庭における残酷なニュースが報道されているなか、血縁関係にあっても、憎しみあい、邪険に扱い、親が子を殺し、子が親を殺す時代が現在です。私は血の繋がりなどさして重要な問題ではなく、互いに向き合い多くの時間を過ごすなかで生まれる絆こそ重要であり、強く深いものだと考えています。
私の生い立ちを知った人たちは、よく「苦労してたんだね」と声をかけてくれますが、私は多くの人に囲まれた、幸せな人生を送っていると自負しています。これからも、「家族」として里親さんと交流を続け、今度は少しでも親孝行ができるよう、努力していこうと思っています。
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●ウチの家族について 里子 E.I
ぶっちゃけ書くことがなくて、すごく困っているんですが、とりあえずウチの家族についてを書いてみようと思います。
ウチは父・母・妹と私の4人家族なんですが、かわいそうにお父さん、男一人でちょっと肩身が狭そうッ!なんです。(笑)
大丈夫だよ!ケンジ(犬)がいるじゃない!!母はものすごいカラオケ好きで習いにまで行っています。カラオケの先生に注意されると、あからさまに落ち込んで帰ってくるので、ちょっとソレが面白かったり(笑)あとはそのカラオケを発表する舞台があったりするんですが、なんかすごいのです。衣装がッ!!人としてありえないから。昭和のアイドルでも着ないよ。妹はとりあえず凄い!!なんなのあの子。はっきり言って完璧なんじゃなかろうかと。頭は良いし歌はウマイし働き者だし子供の面倒見は良いし顔も・・・・(笑)もう結構一緒に暮らしていますが、悪いところをあげろといわれても出てこないです。奴は超人です。ていうか本当に歌がウマイので勝手にTVに応募してしまおうかと母と真剣に話し合い中。
私はことしの4月から社会人になります。はい、おかげ様でありがとうございます。(ハート)概に研修が何日かあったんですが、なんかもうめんどくさいなと。
こんなことならもっと学生の時に遊んでおけばよかったなー。今だから言えるけど、学校楽しかったです。(ぐすん)まだ学校行ける人たちは、ちゃんと学校行っときな!学校行っているときはコジめんどくさいと思ってたけど、後々良い思いでになってくるよ。いかないって言うなら私が変わりにいってやるよ!仕事あるから無理なんだけどさッ!!まだ仕事はじまってないのに大丈夫なのかな私!(滝汗)頑張ろう。頑張って良い夫を見つけて結婚して可愛い可愛い“むつみ(娘)”を産んで誰よりも幸せになってやろうと思います。本気です。だから世の里子さん達も幸せになれるように頑張ろうぜ!いぇい!!
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●ぼくは5年生です。 南はなみずき会B君
ぼくは5年生です。この家に来て10年です。ぼくはお母さんから産まれていないけど、気にしていません。友だちにも結構知られています。でも、いやなことを言われたことはありません。ぼくには弟が二人いて、上の弟はお母さんから産まれています。下の弟は1年半前に来ました。
ぼくはサッカーが大好きです。週2日スクールに行って、土日は少年団です。今年亡くなったおじいちゃんは、ぼくのサッカーをよく見てくれました。ぼくにとって、とても大切な人でした。下の弟が来た時もすごく喜んでいました。下の弟はサッカーの6年生にとてもかわいがられてモミクチャにされています。みんなぼくたちにやさしいです。ぼくは、家族も、まわりの人たちも大好きです!!
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●わたしは、二年生です。 越谷さくらんぼの会Rちゃん
わたしは、二年生です。お父さんとお母さんの子どもになれてうれしかったです。お母さんのじっかやお父さんのいなかで、おねえちゃんがいっぱいできました。まい年、夏にお父さんのいなかに行くのが楽しみです。おねえちゃんたちにかわいがってもらってます。本当にうれしかったです。
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元里子の声

●今思うこと
私の実母は17歳の時、未婚のまま私を出産しました。父親は、名前はおろか、どこにいるのか、生きているのかも分かりません。その母は産婦人科を退院する時、日にちでいうと生後6日目で私を乳児院に預けました。
乳児院から養護施設に移って幼稚園の時、里親さんの所に行きましたが、私があまりにわんぱく過ぎたためか、元の施設に返されました。施設は友達も大勢でそれなりに楽しかったけれど、小学4年生の時、実母が亡くなり、天涯孤独となった私を心配した「さんあい」のお母さんは、新しい里親さんを探してくれました。初めて会った時、里親さんというより、里おばあさんではないか、大丈夫なのかな?と思ったりしてしまいました。里親さんの家には兄や姉がいましたが、年が離れていたこともあり、いじめられるということはなく、可愛がってもらいました。特に一番上の兄は私が悪い時には、本気で怒ってくれて、今でも一番頼りになるし、本当の兄弟以上だと思っています。
実母は一度も会うことなく、声も聞いたことないまま死んでしまいました。周りには恨んでいないと意地になり強がっていましたが、本当は恨んでいました。恋しくもあり、淋しくもあり、恨みもあり、友達の家族を見ては夜泣いたこともあります。
それでも今は母に向かい「生んでくれてありがとう」と心から感謝しています。自分も結婚と離婚という経験をし、少し大人になり、人にはいろいろな事情があること、親には親の苦しみがあったことなどが分かるようになったのだと思います。今は子供にも会えない悲しい状態ですが、しっかり仕事をして将来子供が会いに来てくれた時、父親として胸を張っていられるようになりたいです。
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●今の自分 T.O
僕は、小さいころに施設に居ました。施設に居る時は、中学生のお兄さん達にいじめられたいやな思い出や、そこでの友達と遊んだ楽しい思い出がありました。
僕が3歳のときに、お父さんとお母さんができました。
僕のお父さんは、いつも朝早く僕が寝ているときに仕事に行きます。そして、帰ってくるのは、夜遅くです。休みの日には、買い物や僕の好きな所へ連れて行ってくれます。いつも頑張るお父さんが大好きです。僕のお母さんは、料理が上手で、頭が良く、時々宿題で分らない所を教えてくれます。僕のお母さんは、たよりになります。そんなお母さんが大好きです。
僕が小学1年生のときに、1歳の妹が家に来ました。来た時は、背が小さくて、かわいかったです。そんな妹も、今は立派な小学生になりました。いつもケンカをして、お母さんに叱られたりするけど、大切な妹です。僕は、この家族が大好きです。
そして、今僕は中学生になりました。中学校では新しい友達ができ、毎日が楽しいです。中学校では、勉強など大変なこともたくさんあるけど毎日頑張っています。
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●二十才になって H.H 熊谷やまなみ会
成人式に行ってきた。本当は余り行く気がしなかったけど、一生に1回きりだと思い行ってきた。中学校の友達も、すっかり変わってしまって、着なれない背広にネクタイ姿で、すっかり疲れてしまった。
大学を中退して引きこもってしまった友達もいた。僕は高校を卒業して就職したが、半年で止めてしまった。その後アルバイトをいろいろと経験した。パチンコ店員、スーパーの品出し、フォークリフトの資格を取ったけど経験不足の為不採用だった。この不況の中、正社員にはなれずイライラして毎日を過ごしていた。里親に頼ってばかりで自分の力では何も出来ないと思った。
せっかくいい会社に入ったのにどうして半年で止めてしまったのかと後悔したが、あの頃は夢があって、東京へ行って芸能人になりたかった。家を出て自由気ままにやってみたいと思った。でも現実はそんなに甘くないと解った。ハローワークにも行ったが、なかなか再就職先は見つからず、毎日時間だけが経った。ゲームセンターに行っても、お金だけが出ていって楽しくなかった。里親には迷惑をかけてばかりだった。
半年位ブラブラして、運が良かったのか正社員になれた。今度はなにがなんでも止められないと思った。職がないとお金も入らないし何もできない。今はお金を貯めて車を買う予定だ。今の会社は工場だけど、皆親切で働きやすく僕に期待しているらしい。今度は一生懸命に頑張ろうと思う。
二十才になったら自分の本当の親に会って、自分自身の事を知りたいと思う。どうして育てられなかったのか?自分自身のルーツを知りたいと思う。一才半から二十才迄、今の里親に育ててもらってありがたいと思う。これからも血はつながっていなくても、今の里親と一緒にずっと暮らしていきたいと思う。
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● 家族 E.Y
私には、夢があります。何かになりたいとか、大きい夢ではありません。ただ、将来家族が出来た時、いつも笑顔の絶えない家庭にする事です。
小学校5年生で施設に入るまで、私にとって家族は同じ家に住んでいるだけ。親は、関わりたくない存在でした。そんな家庭で育った私の、家族のありがたさを教えてくれたのが里親です。
里親との生活は、たわいのない話をしたり、一緒にテレビを見たり、今迄の家族としての生活とは全く違ったものでした。だから、驚きと戸惑いがあり、里親に反抗しました。とても苦労をかけたと思います。でも、どんなに辛くて大変でも見捨てず、家族の1人として自分の子のように接してくれたからこそ、私は里親を信じ、本当の親だと思えるようになりました。信頼で繋がっていれば、血が繋がっていなくても親子になれるんだと、その時知りました。
18歳で里親の元を離れ、今私は20歳になりました。20歳になってから、「里親」というものを知る機会がありました。里親説明会で話を聞いたときは、ただただ里親って大変そうという感想しかありませんでした。誰の子かわからない子を預かり、育てるだけでも大変なのに、子供1人1人違った問題があり、愛情を持って育てなければならないなんて、私には無理かもしれません。なのに、あんなに反抗していた私を、最後まで育ててくれた里親に、とっても感謝しています。この感謝の気持ちを、一緒に住んでいた頃、父の日や母の日ですら、やらなかった私ですが、少しずつ伝えたいと思います。
今の私は、一緒に住んでいる大切な人がいます。とても優しい人です。仲の良い幸せな家庭で育ったと、よく家族の話をしてもらいます。羨ましいです。でも、そんな彼の家族や里親に負けないくらい、仲の良い笑顔いっぱいの家庭を持ちたいです。
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支援団体の声

●元気の源! 富士見乳児院 施設長 野口 ひろみ
私は、昨年と今年の1月に喜びと大きな力、そしてたくさんの元気をいただきました。
昨年は、6月15日に催された埼玉県里親会60周年記念交流会に出席させていただいたときのことです。受付を済ませ、手にした座席表を見たときに「この名前は…、この子も!・・・」なんと、12~13人もの、かつて富士見乳児院でお預かりした子供たちの名前があり、共に参加した職員と喜びの声を上げてしまいました。まさかこの席でこんなに多くの子供たちに会えるとは夢にも思っていませんでした。席に着くと挨拶もそこそこに各テーブルを回りました。幼児さんから中学生までと成長はそれぞれでしたが、どの子も、赤ちゃんの時の面影を残し、すぐに分かりました。笑った顔、泣いた顔などが思い出され懐かしさで一杯になりました。
とりわけ、中学生になった大樹君(仮名)に会えたことは大きな喜びでした。彼のことは、私の中で、ずっと気になっていた1人でした。乳児院から変更先の児童養護施設に送っていったのも私でした。彼は、「誰?、なんで僕のことを知っているの」と聞きました。赤ちゃんの時のことを話すと、今度は、「どうして僕は、乳児院からすぐにお家に帰らなかったの」と聞きました。私は、咄嗟のことでどのように答えてよいかわからず、少し間の抜けた答えを言ってしまいました。すると、彼は、「そうじゃなくて…」と、再び同じことを聞いてきました。どう答えてよいかわからず黙っていると、お母さん(里母さん)が説明をしてくださいました。さすがお母さんだと思いました。いろいろ話をした後で彼は、「お家にたくさん人が集まり(実子さんの家族や巣立った里子さんが集まるのでしょう)、大勢で賑やかなのも楽しいけれど、お母さんと2人でいる静かな時も僕は好きだよ」と言いました。そう言った彼の声がとても優しくて、思わず涙が溢れてしまいました。今でもその声が耳に残っています。
そして、今年に入り、またまた里親家庭に委託した多くの子供たちに会えたのです。富士見乳児院は、毎年1月にお餅つきを行います。今年は、前年度と今年度を中心に委託した里親さん宅にお誘いの案内をしたところ13組、総勢31人の里親子さんが参加してくれました。今年度から始まった「ふれあい交流事業」に参加してくださった未委託の里親さんも、夏に引き続きボランティアに来ていただき、それはそれは賑やかで楽しいお餅つきとなりました。里親さんの1人が、「乳児院は、子供にとっては実家と同じなので大事にしたい」と言っていただいたことは何よりの言葉でした。
乳児院の毎日の生活の中で、時には困難なことにぶつかり挫けそうになったり、先のない空しさを感じたりもいたしますが、こうして、成長した子供たちに会えると元気と力が湧いてきます。里親さんも子供たちも、これから荒波を超えていかなくてはならないこともあると思います。私たちの力は、微力かもしれませんが、役に立つこともあると思います。その時はいつでも使ってください。そして、いつまでも繋がっていけたらいいなと思います。
富士見乳児院は、埼玉県里親会創立50周年には感謝状をいただきました。その後は感謝状に恥じないように、そしてこれからは、出会った子供たちに恥じないように力を合わせ頑張っていきたいと思います。
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制度の概要を詳しく
 
●里親制度の概要
●Q&A
●里親になるまでの流れ
 
 
支部の活動を詳しく
 
●各会の活動紹介
 
 
 
 
情報コーナー
 
●「レスパイトケア」について
●「普通養子・特別養子」について
●「愛着障害」について
●会報のご案内
●里親会作成リーフレットについて