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情報コーナー

 縁あって一緒に生活することになった家族。 でもそんな里親家庭といえども普通の家族と同じ、ひとつ屋根の下、悩み、喜び、励ましあい、それぞれの家庭に物語があります。そんな物語の一部をご紹介致します。

「体験談」 目次

― 里親の声 ―

New! 二人の我が子たちと共に
中澤 道子
New! まーくんへ
まーくんママ
New! のんちゃんと出会って・・・
田中 真由美 南支部
New! Qは小学生の・・・
匿名
New! マイペースで
匿名
New! 新たな人生
A.T
New! 家族で応援団
うめちん
New! 舞ちゃんと暮らして
母たん
New! おばちゃんからお母さんに変わって
T.Y
New! もう何年になるのでしょう
亀田 京子
子どもに感謝
里親S.A
里親登録後に思ったこと
里親N.N
里父(おやじ)の会
里親H.S
「遺伝」か「環境」か
かばさん
盛りだくさんの二年間
里親M.K
私の人生と涙の告知
里親O.M
皆さん、聞いて下さい!
里親T.N
もう一つの選択
未委託里親Y.W
ママのたからもの
里親M.H
パパとママの宝物
里親C.I
この子の背中
里親L.M
Kちゃんと暮らした10ヵ月が過ぎて
里親Y.H
A子はいつも歌っている♪
里親K.S
受験、悲喜こもごも
中央支部H.T
リタイヤ直前直後の皆さんへ
中央支部O.R
我が家は・・・・・
中央支部A里親
15年前の8月・・・・・
中央支部B里親
私が里親を・・・・・
南支部A里母から
今日も朝早く・・・・・
南支部C里父
「お父さん」っていい響き、ありがとう
所沢支部A.T
里親の道(家族とのつながりを大切にして)
所沢支部里母T.Y
里親という生き方
所沢支部里父K.K
小春日和のある日・・・・・
熊谷支部A里親
私たちは実子2名・・・・・
熊谷支部B里親
私たち夫婦は・・・・・
熊谷支部C里親
我が家では・・・・・
熊谷支部D里親
私たち夫婦は・・・・・
熊谷支部E里親
妻の実家に・・・・・
越谷支部里親K.F
Mからのたくさんの贈り物
越谷支部T里親
私がだれか知り合いに・・・・
越谷支部Y里親
家族になりたい
越谷支部N里親

― 里子の声 ―

New! 『15歳』僕の今の気持ち
T.I
New! 私はこんな生き方をしたい
Y.Y
家族
里子O.Y
ウチの家族について
里子E.I
ぼくは5年生です。・・・・・
南支部B君から
わたしは、二年生です。・・・・・
越谷支部Rちゃん

― 元里子の声 ―

New! 家族
E.Y
New! 二十才になって
H.H熊谷支部


― 里親の声 ―
NEW! 二人の我が子たちと共に
中澤 道子

Kが我が家に来て、3度目のお正月を迎えました。まっ白な乳歯ののぞくかわいい笑顔の男の子が、大きなたくましい永久歯を見せて笑う少年に変身しつつあります。

私たち夫婦には11歳になる実子の長女がいますが、一人っ子よりは弟妹と共に育って欲しいと願い里親登録をしました。そして半年後、お気に入りのおもちゃと着替えを持って児童養護施設から5歳のKがやってきました。当時小学校3年生だった長女と幼稚園年長組のKは、3つ違いの本当の姉弟のようにすぐに仲良くなりました。

長女は結婚11年目にして授かった一人娘で、それこそ「眼に入れても痛くない」勢いの私たち夫婦と義母の愛を受けて育った子です。果たしてKに同じように接することができるのかという不安や、大事に育てなければという責任感の方が先立って、委託されてすぐ「ママ、パパ」と臆することなく呼んでくれるKに、心の底では戸惑いを感じていたような気がします。そんな時、「Kちゃん、かわいい!」とためらうことなく全身でKを受け入れている長女の姿を見て、これで良かったのだなと安堵したものでした。

二年半が過ぎ、現在はふたりで同じ小学校に通い、スポーツ少年団のミニバスにもそろって参加しています。大きな態度で姉貴風を吹かす長女と、末っ子の特権でみんなに甘えることを覚えたKとは、よく姉弟げんかもしますが、共に様々な経験を重ねて成長しています。長女が中学に入学する一年数ヶ月後には各々個室となる予定ですが、今は同じ部屋で二段ベッドに寝ています。

わずかな荷物で我が家に来たKですが、私の親戚や友人、長女の子育て仲間のママ友からたくさんの「お下がり」が届き、家族の中で一番の衣装持ちかも知れません。片づけの苦手な私にとっては、子ども二人分の身の周りの整理はいつも後回しになり、学期の区切り毎にパパの号令の下、不用品整理が行われることになります。一つ一つの品にKとの思い出も詰まっていて、こうして家族の歴史が積み重ねられて行くのだろうなと思います。

長女も思春期の入口に差しかかり、親子バトルも勃発する昨今ですが、Kに「ママは、大人なんだから、ねえちゃんに負けるなよ。」と言われたときは、姉弟への接し方の微妙なバランスを指摘されたようでドキッとしました。私たちの場合、里親になるということが家族の中にKという新メンバーを迎え入れた形となりましたが、家族というつながりこそ、その様なバランスの上に成り立つものなのかもしれません。

大切な家族であり、いとおしい我が子である二人の寝顔を見る時、これからもずっと仲良い姉弟でいて、様々な事に共感し合い、一生の宝となる子ども時代の思い出を共有して行ってくれたらと願わずにいられません。



NEW! まーくんへ
まーくんママ

まーくん★

いつもニコニコまーくん★

君が我が家に来たのはいつだったかしら?

初めて会った君はまだ8ヵ月。不安そうな顔で私達をじっとみていましたね。

面会が始まると、初めはいつも泣いていましたね。お父さんとお母さんは途方に暮れて、ただただ抱っこをするだけでした。

我が家に来てからは、よく寝て、よく食べ、よく動き・・・本当におりこうさんでした。

そんな君だけど何となく不安定で、よく抱っこをせがみましたね。お母さんは慣れない育児に疲れて、抱っこを断る時も何度かありました。ごめんね。

夜は夜で君は、ミルクを飲みながら背中を向けて勝手に寝てしまったね。お母さんは楽でいい子だな、と思ったけど、今思えばもっと包み込んで寝かせてあげればよかったかな。

今、1歳8ヶ月の君は、本当に元気にまっすぐ育ってくれました。

とっても笑顔が可愛らしくて、一日中動きっぱなし。

いたずら大好き。

甘えん坊。

家族みんなに可愛がられて愛情いっぱいに育っています。

最近、お母さんのことを「かっか」と呼んでくれる君を見て、お母さんは君をとてもとても愛おしく思います。

君の生い立ちの事を考えると、お父さんもお母さんも胸が痛みます。どうせなら、夢であってほしい、そう思います。大きくなった君は、自分のことをどう思うのかな。

これから、どんなことがあるのか、お父さんとお母さんはワクワクしています。幼稚園に行って、小学校に行って・・・・。まだまだ想像がつかないけれど、家族みんなで楽しくやっていこうね。

最後に・・・生まれてきてくれてありがとう。



NEW! のんちゃんと出会って・・・
田中 真由美 南支部

のんちゃんが我が家に来て、にぎやかで楽しいお正月を迎える事が出来ました。

とはいえ日常はあわただしく、今迄子供のいない専業主婦だった私には180度変化のある日々を過ごしています。身近に子供がいなく、接する機会がなかったので、子供のパワフルさにはただただびっくりしております。ただ一緒に行くスーパーにも公園も、今迄味わう事のなかった楽しさがあり、我が家に明るい声がひびく様になって、この出会いに本当に感謝しています。

のんちゃんとの初めての出会いは、7月末頃の事でした。人見知りが強いと聞いていたので、泣かれる事も覚悟しながらも楽しみに面会の日を迎えました。部屋に入って来て、元気に“のんちゃんです”とあいさつをしてくれて、印象通り元気で明るい子でした。泣く事もなく、主人のひざに抱っこさせてくれ、ホッとした初対面でした。

でもその後は週1で片道1時間以上かけて、15〜20分位の面会を重ねて、早く仲良くなりたい、もっと一緒にいたいと思いながらも、じっと時間をかけての我慢の日々でした。この頃ののんちゃんは、今ののんちゃんと比べるとまるで別人なので、まだまだ心を開いていなかったんだと改めて感じます。

順調に面会を重ねて10月に入ってからは、平日1回と週末は、夫婦で行く様になりました。慣れない春日部で、のんちゃんが楽しく過ごせる場所を調べながら、色々な所へ行って過ごしました。特にぐずる訳でもなく、わがままも言わない、何でも食べる、手のかからない、とってもいい子でした。今はすっかり変貌しましたが・・・(笑)

11月にやっと自宅に連れて来れる様になりましたが、朝早く迎えに行って、5時迄に戻る為、2往復するというハードな日々になりました。この頃の話題は、のんちゃんの事ばかりで楽しかった反面、体力的にはだいぶ疲れがたまっていましたが、気力で頑張りました。

やっと11月末に、念願の1泊の許可が出ましたが、この時に今迄見た事のない表情を見る事になりました。

ついさっきまで笑っていたのに、おフロに入る時になって涙をポロポロ流して“帰りたい”と言ってきたのです。この時は、こんなにちっちゃい子が身の回りの変化にとまどいながら頑張っているんだなあと、とてもせつなくなりました。のんちゃんの不安やとまどいを受け止めながら、“一緒に頑張ろうね”と抱きしめて話しました。

とてもせつない思いを感じましたが、自分の口で不安をはき出してくれた事が、かえってお互いに良かったのではないかな・・・と思い、何か壁を一つ乗り越えた気がしています。

その後のお泊まりは、回数を重ねるごとに慣れてきて、わがままの度も増して、笑ったり泣いたり、歌って踊ったり、色々な一面を見せてくれる様になりました。

まだまだかけ出しの親子で、これから近所、幼稚園、告知等乗り越えなければならない事はいっぱいありますが、先輩里親さんの経験を聞かせてもらいながら、焦らず少しずつ親子の絆を作っていきたいと思っています。



NEW! Qは小学生の…
匿名希望

Qは小学生の男の子です。家に来るまで養護施設で暮らしていました。Qとの生活も2年が経とうとしています。

Qはなかなか周囲と馴染みませんでした。恥ずかしい、人見知りしてしまう、というよりも恐怖を感じているのではないか、という雰囲気すらありました。学校では落ち着いていられませんでした。授業妨害だと言われてしまう程で、周りからみるとQが大迷惑なのですが、Qも不安とうまくいかなさを感じていましたので、毎朝とぼとぼと振り返り振り返り学校に行く日々でした。その姿を見ては私も気が重くなるのですが、更に帰ってから大爆発!とばかりに気持ちを噴出させることもしばしばありました。

家での生活の中でも最初は不安がり、ささいなきっかけで時々パニックのようになっていましたが、しばらくすると退行をしました。遊ぶのも乳幼児が好むもので遊びたがりました。本当にその時期に出来なかったことを取り戻すようでした。小学生になったり幼児になったりQは忙しく、付き合う私もばたばたしていたように思います。

1年くらい経った頃、友達と放課後遊べるようになり、学校でも離席がなくなるなど、少し落ち着けるようになりました。家では赤ちゃんがえりもなくなりました。Qも家や学校、地域で安心して過ごせるようになってきたようでした。Qが反応性愛着障害であることも分かり、学校でもより色々な手だてを考えてくださいました。

今、Qは「じゃあ、行ってきます。」と元気に登校していきます。足取り軽く、時には遅れてもいないのに走っていきます。まだまだ色々ありますが、朝見送る時は、清々しい気持ちになります。

ようやく生活のペースも出来てきたように思います。この2年間、色々考えたりしましたが、喜びも沢山ありました。Qとの生活が色々なことに気がつかせてくれています。



NEW! マイペースで
匿名希望

少し前のことですが、テレビを見ていて、考えてしまいました。それは評論家や色々な研究をしているいわゆる専門家の方たちがテーマに対して持論を述べる、というものでしたが、ふと、テーマが児童虐待に及び、あるパネリストが「虐待された子どもは自分も虐待するというけれど、何故だろう」と連鎖の問題に触れました。専門家(評論家?)の方はさらりと「虐待を受けることによって脳が変わっている、海馬が小さくなって他者の心に気づきにくくなるから連鎖はするんですよ」と言いました。断言に聞こえたので、悲しくなりました。

うちに小学生のPが来て、2年が経ちました。Pも安心して乳幼児期を過ごしてきたとはとても言えない状況だったのでしょう。人と接するのにとても警戒していました。(Pの不可解な、攻撃的ともとれる言動が不安や警戒からくるものだとわかったのはPと関わって少したってからでしたが)2年が経って、表情が和らいできました。学校生活も落着きをみせ、友達と楽しく遊べるのがとてもうれしそうです。日頃はやんちゃなPですが、最近は私が失敗して悔やんでいると、「でも○○だからいいじゃん。」と前向きなことを言ってくれます。

毎日、かわいい楽しいばかりではなく、大変なこともありましたが、(まだまだありますが)この変化、成長が癒しでした。虐待が脳に影響を及ぼす、それはあることなのでしょう。事実は消えないけれど、癒され、進んでいくことはできるとやっぱり思います。色々な考えの人がおりますが、私たちは私たちで、まずは目の前の生活をPと楽しみながら頑張っていこうと思います。



NEW! 新たな人生
A.T

里親登録してから1年8か月後、待ちに待った子供の紹介がありました。紹介されたのは、9か月の男の子、Y。Yがいる乳児院が、自宅から3時間ほどもかかる遠い場所だったので、驚きましたが、ぜひお受けしたいとお返事をしました。

月齢が小さいこと、自宅から距離が遠いことなどもあり、乳児院側も児相側もいろいろと配慮して下さり、1か月ほど面会に通ってから、外泊になり、その1週間後には我が家へ委託になりました。乳児院へは週1〜2日。ちょうど人見知りが始まっていたので、なかなか打ち解けられなくてもどかしかったのですが、少しずつ笑顔を見せてくれるようになり、会えるのが楽しみで夢中で面会に通いました。早く我が家へ来て欲しい!と思っていました。

そしていよいよ我が家での生活が始まると、思っていたよりもずっと大変で……。昼も夜もなかなか寝付かず、お風呂も大泣き。少しでもそばを離れると、大泣きして後追いしてくる。そんな具合で家事をするにも寝かせるにも、トイレに行くにもおんぶが欠かせず。夜泣きも毎晩で、朝は早朝から泣いて起きる…。すっかり体も心も疲れきってしまい、軽く育児ノイローゼのようになっていました。Yも、約1年間過ごした乳児院から、新しい環境へうつってきたわけですら、不安や戸惑いで小さい体でとても大変だったのでしょう。1〜2か月くらいお互い苦しみましたが、少しずつ生活リズムが作られてきました。

Yは、我が家へ来たときはまだ歩けなかったのに、あっというまに2〜3歩足が出るようになって、そのうち外を歩けるほど成長しました。Yのちょっとした言動が可愛くて、一緒にいることに幸せを感じられるようになりました。委託になってから1年が過ぎましたが、振り返ってみると、あんなに大変で苦労したのに、忘れてしまっているものなんですね! Yの可愛さで、ここまでやってこられました。

今は2歳を少し過ぎ、自我が出てきて、思うようにいかないとかんしゃくを起こしたり。こちらも手をやくことが増えました。1年前とは違った大変さを日々体験しています。

これからのYの成長を楽しみに、私も一緒に成長していけたらと思います。



NEW! 家族で応援団
うめちん

我が家にKが来て、もうすぐ5ヶ月。

只今2歳半の男の子。

さぁ、今日から親子だよ、と言われたって、お互い急にそうはなれないから、少しずつ少しずつやっていけばいいよね、という気持ちでスタートしました。

うちはおばあちゃんと同居で、私が家事をする間、面倒を見てくれます。良く相手をしてくれるので、こちらに友達のいないKにとって、唯一の遊び友達です。

なるべくKの思う通りにしてくれ、食べることが好きな彼におやつをくれる、優しいおばあちゃんのお陰で、こちらの生活にも比較的早く慣れたのではないかと思います。

また、周りの方々に暖かく接して頂き、ありがたく思っています。

Kはまだ、言葉が少しずつ増えている最中で、おしゃべりも何を言っているのかわからないことも多いので、心のうちはわかりませんが、私の方も、やっと落ち着いて彼のすることを見ることができるようになりました。最初のうちはハラハラして、危ないことはしないか、困ったことをしでかさないかと心配したりして、つい大声を上げることもありましたが、今は大分、しょうがないわね、と思えるようになりました。

気持ちが変われば余裕も出てきて、Kの笑顔もよりかわいく思い、ギュッと良く抱きしめます。

Kも、私の足にしがみついて、じゃれてきます。

逆に、怒ってばかりいると、言うことを聞かなくなります。

打てば響く、とはこのことでしょうか。

2歳1ヶ月でうちに来ましたが、乳児院で育った2年間は、決して短いものではないと感じます。その間彼を育んできたのは乳児院で、私が面会に通うようになるまで、私は影も形もなかったのですから・・・。お片付けができるのも、ご挨拶ができるのも、みんなこれまでちゃんと育ててもらったお陰です。

うちに来た当初から、一緒にお風呂に入るとき、自分のおへそを指差し、「あ」といいます。

「おへそ」と私が言うと、今度は私のおへそを指で触ります。

何故でしょう? たまに、そういうことを繰り返します。

すごく気にしている訳ではないですが、Kのおへそと私は繋がっていなかったという事実を考えてしまいます。告知はまだ先ですが、この事実を知ったとき、Kはどう思うのだろうと思ってしまいます。

 

Kには、何か夢中になれるものや、将来実現させたい夢を持って欲しい。それがあれば、生きていく力になると思います。

泣き虫のK、強くたくましく育ってほしいな。

パパもママも、そして、おばあちゃんも応援してるよ。



NEW! 舞ちゃんと暮らして
母たん

舞ちゃんと一緒に暮らし始めて、1年4ヵ月が経ちました。改めて思うと、昔からずっと一緒に居る様な気持ちになります。紹介を受け、面会に通い、委託直後の頃の思い出が、少し遠のいて来ました。今は、濃厚な日々を送っています。

出会った頃の舞ちゃんは、ホヤホヤの3歳でした。今は4歳8ヵ月。とてもたくましく成長し、私はつい眺めては見とれてしまいます。それがおかしなもので、赤ちゃん赤ちゃんしていた頃より、今の方がとても愛おしいです。

委託直後は、気の強い、しっかり者の舞ちゃんですので、今迄抑えていた自分を爆発させたかの様に、私に毎日ぶつかって来ました。私も大人気なく、ムキになって言い争っていました。トゲトゲして、何でも自分でやろうとするので、私はどうしたら良いか分かりませんでした。なので、甘えん坊となった今の方が、私も心から出来た事をほめられるし、やらせてあげたいと思えます。ただ、お調子者で有頂天になる所や、お行儀の悪さには、今もぶつかります。

しかし、以前の様に我を押し通す事はなくなりました。母たんに従順となりました。そうなると、大声を張り上げていた自分がとても恥ずかしいです。けれど、舞ちゃんに限っては、一緒になって感情をむき出しにした事が、良かったのかなと思えて来ました。いつも一緒。言い合うのも、はしゃぐのも一緒。思いや考えも一緒。それで「2人で1つ。」の合い言葉ができる様になったかなと、思います。

父たんが帰って来ると、「2人で1つだよね。お父は、入れないんだよね。」とささやきます。随分母たんに浸透してしまった様です。「お父!母たんの言う事聞きな!」と完全に母たんの味方になってくれます。「いつも味噌汁作ってくれて、ありがと。」と手紙をくれます。ケガをしたとき、ばあたんを気にし、「また頭、切ってないかな。」と、電話をします。

やる事、言う事、自分を見る様で、分身の様です。いつの間にか一心同体となり、こんなに嬉しいことはありません。でも、それが良いのか悪いのか、今の私には分かりませんが、舞ちゃんにとって母たんとは何か・・・と問うと、「ともだちぃ。」と言います。母たんは友達。これで良いのか。世のお母さんらしくない自分の在り方を、反省する日々でもあります。

舞ちゃんを通して自分を見つめ、本当に人生のいい経験をさせてもらっていると、感謝しています。

これからもずっこけ母たんだけど、頑張ります。



NEW! おばちゃんからお母さんに変わって
T・Y

17歳の娘が高校を卒業して、委託解除になったら里親活動からは身を引いて、少し自分達の生活を中心とした生き方をしようと、夫と話し合っていました。

また、年齢的にも無理だろうとも思っていました。しかし児童相談所から委託の話があると、心は子どもの方へ向かってしまうのです。家族と話し合うと、やっぱり私たちの年齢を心配して反対の意見もありました。私達は健康が守られているならばこのお話をお受けしようと、面会に行くことにしました。

養護施設の先生方も私達の年齢ではと慎重な様子でした。子どもの様子を見ながら時間をかけ、それぞれの立場からの意見を尊重しながら約1年6ヵ月かけて委託への話が進められて、9歳の男の子が9番目の委託となりました。

この様な経過をたどることによって私達は施設の先生方と親しくお交わりをさせていただきました。そのことによってK男は、別れの淋しさや新しい生活への不安もあったでしょうが、私達と安心して接する様になりました。

これまでの委託の形とは異なっていましたが、児童相談所、養護施設、里親の連携を保ち、養育する大切さを学びました。

K男も家族とは親しくなっていましたが、転校する学校への不安と緊張がありました。お隣の家族方がとても親切にしてくださり、1歳年上の男の子もいて仲良く遊んでくれ、K男を家族ぐるみで受け入れてくれました。また、地域の方々も私達里親を理解して下さり温かくK男を見守って下さり助けられております。

ある日、K男の友だちから質問を受けました。「K男君は、おばちゃんの子ども?」「そうよ」「じゃあ、なぜおばちゃんて呼ぶの?うそでしょう」との会話のやりとりに「これはまずいな」と思いました。

責任を持って養育することは、両親としての自覚を持たなければなりません。今日からお父さん、お母さんと呼ぶよう話し合おうとK男に問いかけましたら、「うん、いいよ」の一言で、おばちゃんからお母さんに変わったのです。

5,6歳児の様に、「お母さんあのね」の連発、姉たちからも「やっとお母さんと呼ぶようになったね」と」過去の自分の事を思い出すかのように話しています。

呼び方によって子どもと私の関係も変わってきました。お母さんの言葉の重み、それは愛着関係にも繋がって、甘え甘えさせることができるのです。うっかりすると経験という傲慢さで見失うところでした。

K男が巣立つまで、あせらずに養育里親として歩んでいきたいと願っています。



NEW! もう何年になるのでしょう
亀田 京子

里親登録をして、里子第1子4歳6ヵ月が我が家に来たのは、昭和56年12月、私も仕事は12月で退職しようと年次で休みを取り、我が家に来てから職場の行事などに参加させてもらいました。職場は市の保育園でしたので、同年齢の子供たちも居たので、施設に居たときの流れで、本人は以前から親の職場に来ていた様子で、他児とも打ち解けていきました。

1年くらい親子3人で過ごし5歳児の時、近くの幼稚園に入園、少人数の幼稚園で、すぐ友達も沢山出来、毎日を楽しく過ごしていました。その頃、一人では喧嘩相手もなく父親は夜の帰りが遅いので、もう1人里子と思っていたら、丁度児童相談所より話もあり、面会開始、浦和児童相談所の一時保護所に居るとの事、一度里親に委託されたが、実子と年齢が近く、あまりうまくいかなかったとの事、2歳10ヵ月の男子でした。

2、3回の面会でちょっと難しい子だと判り、24時間接する人が同じなら自然と心も開いてくれると思い、我が家に連れて来る事にしました。時々、お兄ちゃんの幼稚園にお弁当持参で一緒に登園したり、喧嘩もしたり、お互いに意識して生活を楽しんでいきました。

2人が小学校4年生と2年生になったとき、今度は男女の双子3歳4ヵ月を短期里子として受け入れ、又、幼稚園生活を楽しむが、子の双子は1人になるとお互いの名前を呼び合い、幼稚園でも2人で遊び、なかなか友達が出来ず、2年目になって、女の子は女友達、男の子は男友達が出来る様になりました。

一番上が6年生卒業、双子は幼稚園卒園、そして同時に小学校入学、中学校入学と母親は両方の入学式に参列、忙しい1日でした。

それぞれが成長して、双子が6年生になった時、私の実母が脳梗塞になり、娘の私が面倒を見る様になりました。私は6人兄弟ですが娘は私が1人です。

我が家に同居する事になり、いつも皆が集まるリビングの横にベッドを用意して、そこで過ごす事になりました。何の血縁もない4人の子供達は、おばあちゃんの周りに集まって来ては話しかけ、男の子でもトイレに連れて行き、後始末をちゃんとしてくれたり、有難い事です。

長い間色々と苦悩もあり、最後の里子を受け入れたときは、主人は定年退職で家におり、施設には主人と2人で面会に行き、4歳児を引き取って来ました。春には2年保育で4人の子供達が通園していた幼稚園はなくなりちょっと遠い幼稚園に入園、2年間自転車での送迎、それは大変、行きは良いが帰りは坂道、いつも2人で「後ろ押さないと、すぐ下がるよ。」と言っていつも後ろから押してもらっての幼稚園帰りでした。

そんな楽しい時に90歳になる祖母は永眠、M子は年長児になる前、一番上は結婚しており、7年間お世話した私は悲しみより安らかに眠るように天国に行った祖母を羨ましく思いました。

M子も小学校1年生になり、色々な面で遅れもあったが、やっと以前いた施設の名前も忘れ、今現在を楽しんでいる様である。

今は中学2年生、バスケットボール部で仲間と頑張って朝練習、午後の練習と近くの塾へと、おかげで母親よりも背が伸び、成長したことがわかります。今年3年生、高校進学が大きな課題となり、本人も高校へは絶対行きたいと言葉で表しているがそれが叶う様にただ見守っているのみです。

上4人の子供達も18歳で養子縁組をしてから落ち着き、男子3人は家を出て自立して生活をしており、時々「今日帰る。ご飯ある?」等、又、長男はスープの冷めない距離に住み、孫達はママの仕事で遅くなるとき、ランドセルを背負って我が家でお預かり、お迎え来るまで宿題を済ませ、近くの友達と遊んでいます。

4番目の長女はなぜかシングルマザーで2歳になる子と我が家に同居、時々熱が出たと言っては保育園の迎えを頼まれたり、これも里親を続けているおかげで、全然知らなかった児童相談所の職員、市の職員、地域の方々や里親さんとのつながりも出来たのは、数多くの里子を見る事で、どっぷりこの社会に足を踏み入れた事だと感謝しております。



子どもに感謝
里親 S.A

今から2年半前に、2歳の子どもはやってきました。それ以前に約4ヶ月は施設に通い合っていたのですが、やはり突然という感じで、子どもの扱いに比較的得意だと自負していた私も、戸惑っていたことを思い出します。どうすればうまく育てられるかと考えながら接していたので、精神的にも多少疲れていました。

しかし、ある時気づいたのです。子どもの無邪気な純粋な気持ちから出る言葉に触れているうちに、自分も自然体でいいことを。そう考え始めると、とても力が抜け、毎日子どもと触れ合うことや成長を見ることが楽しく、その瞬間瞬間に生きがいを見いだすことができました。成長の例を挙げると、トイレがひとりで行けるようになったこと、自転車の補助輪が取れたこと、会話の中に接続詞を使うようになったことなどです。

次に、日常生活における子育てのすばらしさや感じたことを記したいと思います。

幼稚園に入園以来、様々な行事に参加し、自分も幼少の頃の素直な気持ちに戻れ、「あの時、両親が言ったことは、こういう意味があったのだ」とか、「親も苦労したんだなあ」などとやっと理解できたことです。人の気持ちや愛情の意味が、40歳を過ぎてわかったような気がします。

また、この2年半というわずかな時間の中でも、「あの時は、こういうことがあったなあ」と、過去を映像で思い出すことが、とても楽しく感じられますこんな気持ちになるのは自分だけかもしれませんが、日々生きているという実感がわいてきます。

以上の2つの感想を記しましたが、結局子どものおかげで、改めて人生の意味や深みを認識することができ、本当にありがとうと、心の中で感じています。

とりとめのない文章となってしまいましたが、もし、これから子どもを育てたいと思っている夫婦や不安に思っている夫婦がおりましたら、こう言ってアドバイスをしたいと思っております。

「子どもからはいろいろなことを学び、生き生きとした人生が送れるはずです」と。・・・・・



里親登録後に思ったこと
里親 N.N

里親登録を具体的に考え始めたのは、流産のために入院していたときでした。流産の手術を終え、朦朧とした意識の中で聞こえてきたのは、パーテーション一つで仕切られた分娩室での会話でした。「頭が見えてきた。がんばって!おめでとう!」「はじめまして、パパだよ、よろしく」。ホームドラマの音声を聞いているかのような会話に、私はこの世から消えてしまいたいような気持ちになり、泣き声が聞こえないように必死に歯を食いしばりました。

流産後しばらくは、心に余裕もなく「生めないのなら、せめて里親になって育てたい」という思いが強くなりました。

このような状況でしたから、里親登録後、大切なこととは理解していても、身近に感じられない「児童福祉」や「子どもの人権」という言葉に違和感を覚えました。

また、インターネットで見られる里親関連の情報が、私にはちんぷんかんぷんで意味が分からなかったことにも不安を感じました。「実子に恵まれなかったから育てたいだけなのに、なぜ里親という世界はこんなに難しいのだろう?」と反発を感じてしまうことも正直ありました。

そんな私にもっと広い視野を与えてくれたのは、同じ市内に住む先輩里親さんの存在でした。里親関連のイベントがあるたびに、積極的に声をかけて連れ出してくださり、里親制度の問題点や、変えていかなければならないことが少しずつ分かってきました。そして、「児童福祉」や「子どもの人権」を理解しておくことが里親にとっていかに重要なことかも徐々にみえてきたような気がしました。

さほど里親関連イベントには積極的ではなかった私ですが、先輩里親さんが引っ張ってくださったおかげで、少しずつでも重要な知識を得ることができたことは大きな収穫でした。

「子供が生めなかったから」という気持ちだけで突っ走ると、里親になるための大切なものが見えなくなってしまうかもしれません。不妊と里親登録は延長線上で結ばれているようで結ばれていないような気がしています。どのように結びつけるかは、やはり積極的に里親関連の勉強会に参加し、先輩里親さんからお話をうかがい、自分を振り返るのが一番なのだろうと思いました。

現在、私は未委託里親です。将来子どもが委託されたら、今まで勉強してきたことを踏まえ、先輩里親さんや児童相談所の皆さんからアドバイスをいただきながら、がんばっていこうと思っています。よろしくお願いいたします。



里父(おやじ)の会
里親 H.S

一昨年から、寄居町の「かんぽの宿」を会場に、里父(おやじ)の会に参加しています。参加者も、1年目は6人でしたが、昨年は9人と、少しずつ里父の輪が広がっています。

会は、大広間での夕食の後、会場となる客室に戻り、車座になってから始まります。自己紹介、子どもの近況報告、子育てについての悩みや、それに対する先輩里親の助言など、胸襟を開いて活発な意見交換が行われます。

私が、2回の里父の会に参加して思ったことは、「子育てにマニュアルはない」ということでした。子育ては、子どもの年齢、性別、性格はもちろん、いろいろな要素が複雑に絡み合います。

例えは、私は現在2人の男の子を里子として育てていますが、食べ物の好き嫌いを直そうとした時、上の子に成功した方法が、下の子にはまったく通用しない。そこでまた、次の方法を考えるというように、子どもとともに、親も成長していく。いや、子どもたちから成長させてもらっているといっても過言ではありません。

里父の会の大きな特徴は、他の里親研修会が、主に子どもと接する里母の参加が多いのですが、「里父の会」は、文字どおり、父親に限るということです。この会に参加することで、初めてお会いする方もいます。里父それぞれの子育てに対する考え方、取り組み方など、大変勉強になっています。今後は、一人でも多くの里父の方々に参加いただいて、さらに大きな輪に広がることを願っています。



「遺伝」か「環境」か
かばさん

子どもが発達していく上で「遺伝」と「環境」のどちらの要素がより影響するのかという議論があります。

このことを考える上で、いろいろな大学等の諸先生が様々な文献を著していますが、私は、昨年NHKテレビで放映されていた朝の連続テレビ小説「瞳」の中で紹介された詩を引用します。この詩は、「ふたりのおかあさんから あなたへのおくりもの」という絵本(家庭養護促進協会発行)に掲載されている詩だそうです

子どもの養育は、私たち里親にとっては、永遠のテーマです。また、子どものもつ遺伝的要素の上に、私たちのもつ環境的要素を加味して、子どもの福祉のためのベターな状態の養育をしていくことこそが、私たち里親に課された課題なのではないでしょうか?

子どもの生まれ持った才能や喜び、悲しみを感じる感受性を、私たち里親は、伸ばし、更に豊かなものにしていく使命があるのではないかと引用した詩を読んで感じました。

なかなか、良い里親に成長できませんが、今、一緒に住んでいる子どもたちと一緒に日々のたゆまぬ努力ではなく、自然体で成長していけたらと考えています。

私が所属している川越支部の皆さんと一緒に、落ちこぼれることなく、里親として成長していけたらと願います。



盛りだくさんの二年間
里親M.K

珍しく雪の積もった日、凍えながら主人と乳児院へ向かった。これも縁…3人目が生まれたら『H雪』と書いて『こゆき』とつけようと考えていた。しかし、不妊治療をしても授からなかった。雪の降る日にHは、やってきた。「女の子らしい可愛い子でしょう」と写真を渡された。「ハハハッ(^_^;)」と笑うしかない感じで、お世辞にも頷けなかった。ごめんねH。きっと実際は…!早く会いたい!

初めてのご対面。容姿は写真通りの女の子だった(笑)。少しママゴト遊びをして、帰り際の記念写真、主人に抱かれたHは大泣き。Hが人見知りで泣いたのは、これが最初で最後だ。次の面会には私ひとりで行った。保育士さんの「Hちゃんママ来たよ。」の言葉に、私の方へ両手を広げて歩いて来た。顔は横を向いたまま。小さいながら一生懸命受け入れようとしているんだ、とジンときた。そして、抱きしめた。

委託になったHは、1才半。昼寝も夜も添い寝を嫌がり眠るまでひとりベットでおとなしくし、食事は自分でたくさん食べた(食べ過ぎ)。規則正しい生活ができ、かなり自立していた。ひとり遊びが上手だが、うまくいかないと自分の頭を床やおもちゃに打ちつけた。毎日お風呂上がりに「体さん今日も元気でありがとう。」と言いクリームを塗ってマッサージして、自分の体を大切にして欲しいと願いを込めた。また、大きめな音を異常に怖がった。遊園地の楽しい音楽に対しても泣き叫んで怯えた。抱きしめて落ち着かせ怖くないことを教えたいが、ふりはらって逃げようとする。抱きしめられる事や手を握られる事に安堵感を感じないようだ。親としていらだちをおぼえ、寂しく悲しくもなった。Hから拒否されている感覚にもなった。

Hと自分自身と向き合って試行錯誤の毎日。主人の「良くやっているよ。」の言葉を支えにして二年。いつしか里親であることを忘れ、実子とまったく変わらない愛情が芽生えていた。怒る時は遠慮なし。結果Hが一番好きなのはパパ。くやしい。Hも変わった。21才の兄にしがみついて困っているのを楽しんだり、18才の姉は、おもちゃを買ってくれるが、じゃれあって遊んでくれるので喧嘩もふっかける。負けていない。ひょうきんで明るいHに祖父母も元気をくれると可愛いがっている。食事は「食べさせて〜」と甘え自分で食べない(--ゞ。遊園地も声を出して大喜びするので、こちらも楽しさ倍増だ。工事の音は嫌いで、「ママ抱っこ!」と私の首にしがみつく。抱きしめる事ができると、とっても愛おしくなる。触れ合う事を重ねるのは、本当に大切だと実感した。

乳児院で規則正しい生活と自立を身につけてくれたが、あっという間に崩してしまった。こんな里親でごめんね。Hに後悔されないよう頑張らねば!これからも泣いて笑って怒って一緒に成長し、慌てず少しずつ絆を太く強いものにしていこう。そしてHが悩んだとき一緒に乗り越えたい。里親会のつながりも大切にしていきたい。同じ里子友達もたくさん作ろうね。皆さんの助けを借りようね。そして、幸せになろう(^^)v♪



私の人生と涙の告知
里親O.M

私は、里親になり4ヶ月を過ぎたとき、児童相談所から一本の電話がありました。突然「3歳の男の子です」と言われたときびっくりして何の事か頭の中が真っ白になってしまいました。その後、うれしくて泣いてしまったのを忘れる事が出来ません。

初めてTに会いに行く日は、朝からドキドキしていました。Tは主人と私の顔を大きな目を丸くしてじっと見ていました。私は、何てかわいい子だろうと思いました。Tとの面会を重ねていくと、私が行く日は外でいつも待っていてくれました。夜、寝る前「ママ(私の事)に電話する」などと言って何度か電話があったりしたのを覚えています。

外泊を重ねて我が家に来る日、児童相談所の人から「告知をして下さい」と言われた時、まだ3歳の子供に・・・と思いました。何て言ったらいいのか主人と相談をして、Tに言う事を紙に書き何度も練習をしてその日を迎えました。Tの前で告知をしているうちに、目に涙がいっぱい出てきてしまいました。私たちだけでなくTの目からも涙が出ていました。

その後、Tが幼稚園の時、「ぼくのお母さん、どこにいるの?」と聞かれました。私はどこにいるのかわからないけど「Tが大人になったらあえるかなあ?」と言いました。Tは「ふーん」と言って、私の所に来て「ママのおなかから生まれたかった」と言ってくれました。私は、Tを抱っこして泣いてしまいました。「ごめんね。産んであげられなくて。でもママがずっとTを守ってあげるね」と言ったら、Tは「うん」と言っていました。3歳で告知をして本当に良かったと、この時思いました。Tのおかげでママ友達が出来たり、いろいろな人と知り合う事が出来て私の人生も大きく変わりました。とても幸せです。

今春Tも小学校3年生になります。これからもTと一緒に頑張って行きたいと思っています。Tに会わせてくれてありがとうございました。私たち夫婦の宝物です。



皆さん、聞いて下さい
里親T.N

子育て奮闘中の里親の皆さん、聞いてください。とっても嬉しいことがあったのです。

あの、小さくて心配したA君がパパになったのです。初めて会った小学5年生の時、紹介されなければ2年生位かなと思われるほど小さな子だったA君が、持ち前の明るさと人なつっこさ、努力でとても可愛いお嫁さんと、彼に良く似た赤ちゃんとの家庭を手に入れたのです。生後たった6日しか母親といられなかった彼ですが、今は彼女の両親と同居して賑やかに暮らしています。

元日には、これから家族みんなで乗れるようにと買い換えた大きな新車でやってきて、うちの息子に「使うときはいつでも言ってよ。貸すから」なんて言っていました。そして息子の子には叔父として、下の里子には兄貴としてお年玉を渡すときの顔のなんと頼もしげなこと。出産祝いを頂いた従兄や兄弟達にお返しの品を用意してきて、お礼の言葉を添え、渡していました。こんなことをきちんとできるのも、親が同居してくれているお蔭かと感謝しています。

我が家で暮らしたのは、小学校6年生から高校3年生までだけでしたが、ただでさえ色々ある思春期を、新しい環境の中で過ごしたのだから彼も大変だったし、私たちも大変でした。転校して学校にも慣れたし、友達も沢山出来たみたいと安心したのも束の間、万引きを繰り返すし、タバコ、バイクで補導され、自転車窃盗罪で警察まで身柄を引き受けに行ったこともありました。幸い、熊谷支部には「思春期を乗り越える会」というサロンがあり、そこで先輩里親さんに話しを聞いてもらえました。話を聞いてもらえるだけで随分心が軽くなったものです。

高校では学期末の成績不良者の集まりに、毎回のように呼び出される超低空飛行の成績でしたが、何とか卒業が出来ました。大学入試を考えるような人には、高校卒業は当たり前でしょうが、彼の周りでは当たり前ではないのです。仲の良かった友達はほとんど中退してしまって、働いてお金は自由に使えるし、車で遊びに来る子もいて、彼も辞めたいと幾度か言い出しましたが、よく頑張りました。あの時頑張って卒業できたから、今の仕事に就けたのだし、彼女との結婚も出来るようになったのだと思います。

就職の際も面接で、自分の生い立ちをすべて話したそうです。そして、そのまま在学中からアルバイトをさせていただき、職親さんと呼べるほど面倒見の良い親方のもとで、今日も頑張っています。

思えば我が家にいる間はずっと問題を起こしていたような気がしますが、過ぎてしまえばそんな事もあったな程度で、今の絆を生む為に必要な事だったのでしょう。

今、思春期真っ只中のお子さんを持つ里親さん、もし嵐のように荒れる日があっても、どうか遠くを見て先を楽しみに、今をやり過ごして下さい。きっとA君のように、育てた親のみ味わえる喜びを持ってきてくれます。



もう一つの選択
未委託里親Y.W

私が里親制度に強い興味を持ったのは、不妊治療後妊娠したが流産してしまったからだ。結婚する前から養子や里親のことは、ドキュメンタリー番組を通して知ってはいたが、まさか自分がその立場を考えるようになるとは、夢にも思っていなかった。

流産後、心身共にダメージを受けた私は、心の隙間を埋める為インターネットで同じ経験をしている方のブログを読みあさった。当初は高齢不妊治療をしている方のものだったが、その中に不妊治療を断念し、特別養子縁組をした方のブログに出会った。そのブログには不妊治療から特別養子縁組をするまでの過程が綴られており、泣きながら読んだ。「私にもこういう道があるんだ!」と、希望が湧いてきた。流産手術から一週間後の検診の帰り、早速雨の中、車を児童相談所へと走らせた。

ドキドキしながら初めて足を踏み入れた児童相談所。とても静かだった。窓口で里親の件で相談に来た旨を伝え、担当の方に別室に案内された。「現在不妊治療をしているが、養子についても考え始めたので説明を聞きたい」と伝えた。担当の方に、「ここに来るのも勇気が要ったでしょう」と言われ胸がいっぱいになった。里親募集のパンプレットをもらい簡単な説明を受け、10月は里親月間なので入門講座があることを教えてもらい、児童相談所をあとにした。

それから約一ヵ月後、「里親入門講座」に参加した。参加者は10組だった。私が想像していたより多くの方が興味を持っていると感じた。児童相談所の担当の方から里親制度についての説明があり、その後二人の里親の体験談を聞き、最後に意見交換及び質疑応答という内容だった。二人の里親さん共に、実子の他に二人の里子を養育されている方だった。双方共に人格者といった感じがあり、欲を言えば実子が無く里親をしている方とか年齢的にもう少し若くて里親をしている方の体験も聞くことが出来れば、さらに良かったと思った。どちらの方も里子に寄り添い大切にされ、その里子達がもたらす喜びに溢れた話を聞き、とても感動した。今すぐにでも里親になりたいという気持ちが沸々と湧いて来る話だった。

入門講座から暫くし、夫に里親制度や特別養子縁組の話をした。そして二人して基礎研修の申し込みをし、里親への道を一歩踏み出すことにした。はたして私達夫婦に里親としての道は開けるのだろうか?

今は未来を見つめ、一つ一つのステップを踏み進んで行きたいと思う。



ママのたからもの
里親M.H

平成20年6月から一緒に暮らしているMちゃん(2歳)と毎日楽しく遊んでいます。

来た時から義母の差別や偏見で苦しみ、児相担当者に相談したら「それが世間です」という話でした。義母を支持している親戚達は「Mちゃんはそういう子供だから差別は当たり前!」です。先輩里親には「大人が差別を子供に教えるから無くならない」「Mちゃんと一緒に笑ってみたら?」というアドバイスでした。確かに子供は親の影響を受けて育つようで、差別的な親の子どもは差別的だし、Mちゃんは私のまねをします。Mちゃんと公園や児童館等で、子どもや親たちと笑いながら遊んでいたら、義母と親戚のイジメを無視できるようになりました。周りの方々に「楽しそうね」と声をかけられるのは、アドバイスで壁を乗り越えたからです。

歌が大好きで、リトミックに通って楽しんでいます。絵本の読み聞かせを繰り返すと、オリジナルな暗唱で読んでくれます。遊べる道具も増え、駆け足も速くなりました。他の用事で動くと泣き叫んでいた昨年より成長して、遊びながら家事を手伝います。

義妹が里帰りで赤ちゃんを連れてきたら、義母から何かを聞いたようで「赤ちゃんはおばちゃんからオギャ!って生まれたの?Mちゃんは?」という質問です。二歳四ヶ月頃で真実告知はまだなので、内心ヒヤヒヤで冷静に答えました。「Mちゃんはママの心から生まれたの。心のつながりはとても大切なのわかる?」と話したら納得した様子でした。この頃から赤ちゃん返りで、私のおっぱいを飲む真似をしてます。不安な気持ちになるとイタズラしたり叩いたりする事を心配してたけど、経験者達に「二歳児は普通だよ」等軽い話で、真面目に考えすぎていたようで安心しました。TVでやっていた「ママのたからもの」という歌をMちゃんの名前で歌ったら泣いて抱きつき私を叩きました。「大らかな気持ち」というアドバイスを思い出し、笑いに変えて応え、思いついたら「たからもの」と言い続けたらイタズラがなくなりました。家事や自分の事よりMちゃんを優先にし、腰痛になるまで抱っこを続けてきたのにMちゃんの中では言葉に出来ない不安があったようです。実子でも親への不信感で悩みを打ち明けられないケースもあり、大切なのは信頼関係だと考えています。

下手な絵ですがオリジナル絵本(非売品)を完成させました。今後も成長にあわせた絵本・物語を作成し、色々な形で愛情を伝え続けたいです。去年体験談を発表させて頂き、「実親に会いたいと言われたらどうするの?」という質問がありました。即答出来ませんでしたが、私は子どもを丸ごと受け入れたいので、自己判断が出来るようになったら会っても良いと考えています。

Mちゃんの初海外旅行「サイパン」に行き、初ボーリングを経験しました。Mちゃんにとって人生初となる事柄を一緒に経験出来て嬉しいです。

これからも心のつながりを大切にして、話し合いの出来る関係を築いて行きたいです。



パパとママの宝物
里親C.I

「二歳のお誕生日、おめでとう」これが初めて会ったM君との出会いでした。

主人と私は、私の卵管閉鎖が原因で、結婚してから10年余り子供を授かる事が出来ず、家庭の事情で育てられずに生まれてきている子を、私たちの本当の子供として共にしたいと夫婦で決断した事がM君とIちゃんと出遭えたきっかけでした。

M君と初めて会った日、パパとママに真っ先に気付き、施設のガラス越しに見たM君は、誰よりも可愛くあどけない表情が、しっかりと今でも心に焼き付いているよ。

我が家で一緒に暮らし始めて、M君はたくさんの「試し」行動や、何をするにも離れられずに、洗濯物を干す時も御飯を作るときも、トイレの中でもずっとずっとダッコちゃんだったね。時がたつにつれ、心の中にある不安も臆病だった行動もまるで別人の様に、イタズラで毎日の様に沢山のお友達と遊ぶM君になったね。

M君が年長さんになり、まだ一歳に満たない女の子が家族になりました。M君の妹です。同じ施設から我が子として授かったIちゃんです。おめめがクリクリで不思議とピタッと気持ちが合う、チャーミングIちゃん。

Iちゃんが初めて我が家に来た時、これまた肝っ玉Iちゃんで、不安というよりは我が道を行くと言う様に、家の中を探険したりとても活発で何でもお兄ちゃんと同じ事をしたがって、ケンかも良くするけど仲良しの兄妹になれたね。Iちゃんが生まれて初めてハイハイした時、つたい歩きを嬉しそうにしながら ママの事をみる瞳も、初めての第一歩も、かけ足を覚えた時も、みんな自信満々にママに見せてくれて、たくましいIちゃんに成長してくれているよ。

そして、M君とIちゃんがいてくれるから気付く気持ちが沢山あって、パパとママに色んなことを教えてくれている。パパとママはM君とIちゃんに出会えたから、本当の幸せを幸せと思えたよ。

「ありがとう、M君」

「ありがとう、Iちゃん」

大人になる迄の道のりは、楽しい事や、嬉しい事や、苦しい事、悲しい事の連続だけど、どんな時も乗り越えて行こうね。

そして、これからもよろしくね。

M君とIちゃんの人生に、たくさんの幸せが訪れますように・・・・・

パパ・ママより




この子の背中
里親L.M

この子が初めて我が家にやって来た頃は、笑わないし笑っても声は出さず、表情も何となく暗い感じがしていました。考えられる要因の一つに、この子は私たちの前に別の里親に委託されていていましたが、施設に再び戻されたという背景がありました。三歳にして何という人生経験であろうかと、いろいろ思いを巡らせると毎夜涙が止まりませんでした。もちろん全ての事実を私達が知らされている訳はなく、実親さん、前の里親さんに事情があった事は分かっていますが今後二度とこの子に不安な思いを絶対にさせてはならないと強く思います。

今、一緒に暮らし始めて約半年になりますが、とてもたくましく成長してくれています。今では大きな声で笑うしおしゃべりもフル回転、走り回って転んでスリキズいっぱいです。子供の順応性の素晴らしさに毎日驚かされ感動をもらっています。そして「ママ大好き!世界で一番すき」と言ってくれ、幸福を感じています。

先日、私の昔からお付き合いのある理容師さんにこの子を紹介し髪を切ってもらいました。その時「この子は子供らしい良い顔をしているね。青竹の様に真直ぐ育つから頑張りなさい。この子を離してはダメよ」と言われ、とても有り難い気持ちになりました。この子の背中を見ていると彼の歴史が頭を巡り愛しくてたまりません。小さいけれどとてもたくましい背中なんです。私はこの背中を撫でるのが大好きです。

ある日、この子がふと、こう笑顔で言いました。「ママ(私の事)ぼくね、昔のパパとママの所でお利口さんだったよ。でもね、もう忘れちゃった」と。本人は何気なく言ったのでしょう。ですが私はこの言葉の中に存在する深い深い意味を推しはかり、又々涙を流してしまいました。そして改めてこの子の天性の明るさに畏れ入った一日でした。

まだまだ家族になって日が浅く偉そうな事は言えませんが、これからもこの子の背中を眺め、撫でながら一緒に成長して行きたいと思います。



Kちゃんと暮らした10ヵ月が過ぎて
里親Y.H

おととし12月上旬児童相談所を通して、当時4歳7ヶ月のKちゃんを紹介されました。私たち夫婦が里親と認定されてから実に2年半も経っていました。

児童相談所の担当者の方に「とても元気な子です」と言われた通り、Kちゃんは活発に動きまわるやんちゃな男の子でした。その後、面接、お出かけ、お泊りと段階を経て、4月より正式に委託となりました。

これを機に私たちはもう少し間取りの広い団地に引越し、私は人事異動で新しい職場に変わりました。Kちゃんにとっても4月から全てが新しい生活になりました。今までは、施設から幼稚園に通っていましたが、今度は両親が働いているので、夕方まで保育所で過ごします。そんなわけで、バタバタと3人での新しい暮らしが始まりました。夫婦2人の生活から、いきなりやんちゃで活発な男の子が同居したわけですから、それはもう生活が一変しました。

最近、Kちゃんの扱い方、例えば言う事を聞かなかった時の対処法などわからず、気が狂いそうな日々が続きました。私自身心にゆとりがなく、カッとなり、ヒステリックに叱る事もしばしばありました。しかし次第に彼の良いところ(優しい面)もわかり、子どものいる生活の良さも味わえるようになりました。例えば、お昼寝をしている時私に布団をかけてくれたり、荷物を沢山持っている時「おれが持つ」と1つ荷物を持ってくれたりと、彼の優しい面がわかると、Kちゃんがしだいにかわいいと思えるようになってきました。

最近は私に甘えてきて「抱っこして」と、1日に何回も抱っこをせがみます。 また、寝るときも私の布団に入ってきて、すり寄って寝たがります。

私たち夫婦がこの子と出会い、一緒に暮らす事になったのも何かの縁だと思い、家族が増えたことに喜びを感じながら、今、この子といることを楽しんでいるところです。



A子はいつも歌っている♪
里親K.S

「A子は、いつも歌ってる♪」と「いつでも夢を」(橋 幸男・吉永 小百合)のデュエット曲の替え歌を、よく夫婦で歌っています。

我が家は特別養子縁組をした2人の子、6年生の長男と4年生の長女がいますが、6月末より2歳の女児A子を受託しました。受託前、親子関係作りに施設に通った際はいつも泣かれました。初めて家に遊びに来たときも、半分以上泣いていた気がします。私も泣きたくなりました。上の子どもたちの時も、同じ経験をしたはずですが、皆違います。(里子はこの子で7人目)自信がうすれ「この子は我が家に来て、幸せだろうか」と少し不安になりました。しかし「この子は、神さまに出会わせていただいた子なんだ」と思い、乗り切ることにしました。

我が家にA子が来たての頃、お風呂は姉とA子と私の3人で入っていました。しかし、A子は私のことは嫌がり「姉となら入る」と言い張り、私はがっかり。しまいに姉が「A子が私の事ママと言ったよ」と言うので、「これではいけない」と思わされました。姉も疲れてきた頃で、「お姉ちゃんは、今日は一緒に入らないよ」と言うようになりました。A子が泣いて強く訴えましたが、これはチャンスだと思った私は、ありのままの自分をぶつけることにしました。

その夜は、意外にもA子と楽しくお風呂に入ることができました。お風呂の中で私が「A子ちゃんがいてくれてママは幸せ♪」と歌うと、泣きじゃくっていたA子の泣き声が止りました。「A子ちゃんはママとパパの宝物、大好き、大好き、大好き♪」などと自己流の歌を歌うと、やがて「変な歌!」と言いつつ「もっと歌って」と言い出しました。そこで「A子ちゃんは、お風呂が大好き泡泡♪」とかいろいろ歌っていると、ついにはゲラゲラと笑い出し、2人で変な歌を一緒に歌えるようになりました。

その後、我が家にすっかりなれたA子は、ママが疲れたときには、パパがA子を1人で上野動物園や、近くの公園に連れて行ってくれます。兄は嫌がりつつも、デパートのエスカレーターに乗るときなどに抱っこをするなど、親より過保護にするところがあります。姉はお絵かきを一緒にする反面、少し赤ちゃん返りして、ママのおひざをA子と取り合いすることもあります。

A子はいつの間にか、車の中や色々なところで、自分の思いを歌にして歌うようになりました。初めは皆、面白がり「もっと歌って」と言って大笑い。やがて「もう止めて」と頼むようになりました。そのうち夫婦で「A子は、いつも歌ってる♪」と歌うようになりました。

A子が来てから我が家では、歌が溢れています。ママは今、最高に幸せです。A子ちゃん、ありがとう。



受験、悲喜こもごも
中央支部H.T

夏休み直前、自主勉など出来ない子だとわかっていたので、どこか塾を決めるよう指示。一向に動こうとしないので、「お母さんが決めてきてもいいの?」と言うと、「ああ」との返事。近所の子どもたちも部活終了後、入塾したと聞いていたので少しずつ集めていたチラシの中からピックアップ。急に成績が上がらなくても、宿題のない夏休み、家でゴロゴロされては親もストレスがたまると思い通わせる。

8月初め、さいたまスーパーアリーナで彩の国進学フェアが開催されると聞き、「友達と行ってみたら?」と勧めたが、「皆、行かないって」とこれも空振り。両親とも他県での受験、それも40数年前のこと。少々不安になりふたりで出かける。私立1校、公立2校どちらも受験生の名前を聞かれ、10分ばかり面談。一応希望校を確認。

9月、夏休みの塾は新しいせいかトラブったり、本人もあまり気乗りしなかったようなので、クラスの親友が通う大手の塾に変更。今回は本人が決めた。「切羽つまってからの入塾ですみませんがいろいろと相談に乗ってください。」と塾長に伝える。流石に穏やかで頼れる感じでした。授業料もそれなりですが。

10月、中学から、「私立のガイドブック」「進路の手引き」が配られ、いよいよ受験校を絞る段です。今まで何かにつけ他人事だった本人、急に自分を主張。担任の「かなり無理」の言葉も北辰の結果も無視。「友人と一緒の隣の市の高校」と決め譲りません。これでは私立のすべり止めを考えなくてはと思い、急ぎ塾長に相談。とにかく「個別相談になるべく早く予約を入れ行ってみてください。」と言われる。

11月15日指示通りに成績につながる書類を集め持参。本人よりも親の方がコチコチ。受付では、「入学願書お持ちですか?」と聞かれ、「えっ!まだOKもらってなのに?」と思いつつも、しっかりと受け取り、控え室へ。な、なんと!ひとつの教室が親子であふれていました。ひとりひとり呼び出され、別室で面談。種類を見るなり「うーん」と頭を抱えてしまわれた。そして「希望のコースには少々無理、下のランクでよいならお引き受けしましょう」と言われ「他校を受けるつもりがないのでどうぞよろしく」と頭を下げる。保護者と本人の姓が違うので、いろいろ聞かれると思い構えていったが、約10分程で終了。駅までの間、本人はランク落ちがショックだったようですが、親は心の中で、「ヤッタ!」と叫んでいました。

12月に入ると私立出願準備。願書の記入は、下書きから何度も担任がチェック。犯罪も多いせいか写真貼付けなど有、自分達の時には考えられません。冬休みは、年末年始以外は塾。本人は近くの神社にもお願いした由。

3学期がはじまり、最後の北辰が終わった翌日、ほっとしたのか、「ぼく、夕飯の味噌汁作る!」と言い出しました。初めて作った割には、まあまあの出来。因みに今日は成人の日。5年後の息子は想像がつかないが、少し楽しみ。どんな青年になるだろうか。 10日後の22日、私立受験。朝から冷たい雨、雪にならなくて良かった。吹上駅まで車で送る。思ったより難しかったと帰ってくる。26日発表。やはり下のランクで合格。

それから間もなく、内の壁に2つ目の穴が誕生。(1つ目は中2)「もっと開けたい!」というのを辛うじて制した。以前、親類のもっとおとなしい子の例を聞いていたので、「やっぱり来たか。」と思った。男子の方がプレッシャーに弱いらしい。

2月初めの前期公立受験。案の定、同じ中学から4人受け、1人だけ合格。残念!さてと、残すは後期のみ。「ラストスパート!」と声を掛けたいけれど、本人はいたってマイペース。机上の“北野天満宮のお守り”(修学旅行)神様も扉を開けたり、閉めたり、さぞ迷っておられるでしょう・・・。



リタイヤ直前直後の皆さんへ
中央支部O.R

もう一度子育てに参加してみませんか!

息子や娘が独立して、空き部屋、机もあるし、特別準備も要りません。愛があればできます。

いまどきの中学生、高校生にはハラハラドキドキさせられますが、それが張り合いというものです。私どもは70代の夫婦ですが、年甲斐もなく?奮闘しております。同世代の友人には、「こんなでっかいスニーカーが玄関にひっくり返っていれば防犯になるね。」とからかわれています。

研修もあり、里親同士の情報交換もあり、愛情があれば大丈夫です。

さあ チャレンジしてみましょう!!



我が家は・・・・・
中央支部A里親

我が家は、おしゃべり大好きなパパ。替え歌を作るのが得意なM子。すぐ怒るママの3人。そんな家族の日常生活を紹介しまーす。

〜ある秋の日〜

幼稚園の遠足を楽しみにしているM子。何日も前から「今日は遠足の日?」と毎日聞いてくる。当日…雨が降り、楽しみにしていた動物園ではなく水族館へ。見送りながら、ママ友達との話の中で…「本当、無事に帰ってきてくれればいいです。」と言う自分に驚いた。「あたしって親なんだ!!」なんだかM子の帰りが待ち遠しい。帰ってくると、お魚や恐竜の話をいっぱいしている姿で胸が温かくなってしまった。いつも怒ってばかりいるママは、実はM子ワールドにはまっている。

〜ある日〜

パパと大笑いしてしまった。幼稚園からお絵かき帳を持って帰ってきた。ペラペラ見ているパパはクスクス笑っている。「ん?どれ」と見てみると…(なかなかうまく描けている)りんご・桃・さくらんぼ・メロン・ハンバーグ・プリン・・(あやしい)そう、食べ物だけ!「どれが一番食べたいの?」と聞くと、「プリン!!」とこぶしをあげている。ノートのほとんどが「プリン」の絵。何を思ったか、パパはコンビニへプリンを買いに行った。パパもM子ワールドにはまっている。

〜お風呂場で〜

最近、文字が読めるようになったM子。パパとの会話を風呂場で「伝言」するようになった。「どこかへ連れてって・・おもちゃがほしい・・大好き」など。女の子だね。おねだりばっかり。パパも負けじと、「よし!!買ってやる。連れてく!!」と鼻息があらい。「ママもどこかにつれてって・・」と書きこむと、パパもM子も「ダメ!!!」とかえってきた。(ムカッ)はぁ…2人のタッグには負けます。(トホホ)

おむつ交換から始まり、幼稚園入園と、めまぐるしくあっと言う間にすぎてしまった。(これからが長いことに気づいていない私…)今も、原稿を書いたり消したりしている私の隣で、消しゴムのカスを集めて何やらブツブツ言っている。(笑)

なんだかんだと成長していく娘に感謝。

そんな親子3人の合い言葉…「ザ・家族!!」

笑える家族をめざして楽しく過ごそうぜ!!



15年前の8月・・・・・
中央支部B里親

15年前の8月、児童相談所の方から「幼稚園の年長の女の子で、養子縁組も可能な子ですが、先ずは夏休みに預かってみませんか」というお話を頂きました。

主人に報告したところ、「どの部屋を使う?掃除してやるから布団を出せ。夏休みと言わずずっと預かろう」「会ってもいないのに。私達が嫌われるかも知れないでしょう」というやりとりになりました。

園長先生からは「しっかりした子ですが、そっけなくて馴染みにくいかも知れません」と言われました。いつの間にか園長先生の傍にいる、上目使いにじっと見ている色黒の女の子がそうでした。「おいで」と声をかけると、膝の上にすっと乗ってきました。「こんなことはないのですが」と園長先生は驚かれていました。

「明日からおばちゃんの家にお泊まりする?」手を強く握り返してコックリ。「朝迎えにくるね」さっと部屋を出ました。あっけにとられながら帰ろうとすると、ばたばたと走る音と先生の追いかける声。玄関口でスケッチブックとリュックを持って睨みつけて待っている彼女がいました。かわいそうでしたが、施設の都合もあり、明朝迎えに来るからと帰ってきました。

翌朝、施設からなるべく早く来て欲しいとの連絡があり、急ぎ迎えに行くと彼女は玄関で待っていたらしく、車を見つけると飛び乗ってきました。車中、いかに待ちくたびれたか、お手伝いも一杯する、良い子にすると話してきて、「選挙の公約だ」と主人と大笑いしました。

最初の2日間は公約通りの良い子でした。食事も遅いことを我慢すれば残さず食べました。ただ、歯磨きをしないのでやってあげようとすると逃げ回ります。変だなと思って寝ているときに口を開けてみると、あまりの虫歯のひどさにびっくりしました。歯医者はどこも盆休み。柔らかな物で対応するしかありませんでした。

一番熱中したのがクッキーとパン作り。粘土工作も好きで、彼女が我が家でカルチャーショックを受けて作ったものは、洋式の水洗トイレといつでもお湯の出るシャワーでした。

5日間はあっという間に終わり、帰園する前の晩に初めておねしょをしました。せめてもの抵抗だったのだろうと思います。

その後も、週末は一緒に過ごせるよう努めました。

11月七五三のお祝いから、我が家に引き取りました。

ずっと家に居られると分かると、我儘が出てきました。朝起きない、食べない、返事しない、着替えない、片付けない、父ちゃんはおじさんに、母ちゃんはおばさん(か先生)に・・・所謂「試し」行動です。歯医者に連れて行ったのも気に入らなかったようです。

朝、小さなおにぎりと卵焼きや具沢山のみそ汁を用意して、後は知らん顔をしていると、お腹がすけば食べ、心細ければまとわりついてくる日がほぼ1ヶ月続きました。夜は固くしがみついたままで、気がつくと私の身体のアチコチに痣ができていました。この頃、買い物に行くと、カートに2Lのジュースを3〜4本と大きなポテトチップスやスナック菓子の袋を引きずるようにして積み込み、帰ると次々に開けてほんの少し飲んだり食べたりすると、誰にも分けずにゴミ箱に放り込み、また同じことのくり返しが4回続きました。さすがに今度は怒るぞと腹を決めて買い物に行くと、その行動はピタッと治まりました。

12月に入ると、食事は一緒にできるようになりましたが、2時間以上かかることがざらでした。まとわりつきもひどくなり、トイレまで付いて来ました。

年が明けると、赤ちゃん返りがひどくなりました。それも、買い物に行ったりお客が来たりしたときは年齢以上にしっかりした態度をとりますが、誰もいなくなると、スケッチブックの絵が突然ぐしゃぐしゃの線画になったり、ハイハイをしたり、絵本を読んでくれと膝に乗ってきたりと、そうしたことが一日に何度もくり返されました。そして、一番好んだのが自分を主人公にしたお話をしてもらうことでした。やんちゃだけど心優しい少女のストーリーを作って、どの年齢に赤ちゃん返りしたかを見ながら、その年齢に合わせて話してやっていました。その子は、今大学2年生。教職課程をとって頑張っています。



私が里親を・・・・・
南支部A里母から

私が里親をさせて頂きたいと思いましたのは、平成15年1月に100歳になる義母を亡くし、同年4月に主人が亡くなったのがきっかけでした。2人とも病気がちで私が川の字で寝起きし、看病しておりました。一度に2人がいなくなり、私の心も頭も空洞になってしまい、ふと思い出したのが、以前、話を聞いていた“里親”のことでした。

私は子どもが大好きで、5人の子どもがいます。今では、子どもたちもみな成人し里親の事を相談してみますと「お母さんの良いと思うことは、してもいいよ。全面的に応援するから。」と賛成し、後押ししてくれました。それから、里親の申込みをして、登録されたのが同年12月のことでした。

平成16年6月末に、初めて小学5年生の男の子を所沢にある一時保護所に迎えに行きました。私は長男、次男と同居していましたが、昼間は私ひとりだけでしたので、心配した娘夫婦が孫4人を連れて、同居してくれました。1度に10人家族になりました。

小学5年生の孫と里子は気が合って仲良くなり、夏休みには、キャンプ、奈良へと一緒に遊びに行き、充実した生活を送ることができました。しかし、そのことが里子の父親に知られて、「そんな贅沢をさせては、癖になる。」とお叱りをいただき、夏休みいっぱいで、父親の元に帰ることになりました。里子は、このまま、この家に居たいという態度でした。里子が喜んでくれたらと思い、私がとった行動が逆に里子に辛い思いをさせていたことに気づき、反省しました。

次に中国の2才の男の子を半年程、預かり、どこに行くにも自分の孫のように、私の姿が見えなくなると探し回り、毎日が張りのある日々でした。別れの際、東京入国管理局まで連れて、母親に届けに行きました。すると、本人は母親に会っても顔すら忘れて、母親から声をかけられると泣き、私の後ろに隠れてしまい、本当に辛い別れでした。

それから1ヶ月後、フィリピンの5歳の女の子が来ました。愛くるしいかわいい子どもで、すぐ私達に打ち解け安心し、何の問題も起こすことなく楽しい生活を過ごし、1ヶ月程で母親の元に帰りました。

T君は、小学5年生の2月に我が家に来て、現在は中学1年生になりました。今までは小さなお子様ばかりでしたが、中学生にもなりますと家族の誰よりも背丈が高くなり、自由に自分のしたい事(テレビゲーム)ばかりしています。どうやら、勉強するのが苦手のようです。

T君は1人っ子で、5歳の時に母親が亡くなり、父親は入院していて、家族と一緒に生活する事が不可能なのです。当初は、短期でお預かりしていましたが、父親の入院が長期となり、私がT君を長期に預かれるようにするため、短期里親の私は、養育里親の登録もしました。これでT君と長期的にお付き合いが出来るようになりました。11月末に突然、学校から電話があり、T君の様子が少し違うため先生が訪ねてくださり、4、5人からいじめに遭っていることを聞きました。先生が早く気づいて対応してくださったので、今はいじめに遭っていないようです。中学校に入ってすぐに友達に怪我をさせたり、色々と問題を起こしました。これからも、色々問題が起こると思われますが、我が子だったらどうするか、常に自分の心に尋ねて、成人している我が子とも相談しながら、対応していきたいと思っています。

里親になって、私は里子達から若さをわけてもらい、また楽しみも増し、日々、張りのある生活を送っています。



今日も朝早く・・・・・
南支部C里父

今日も朝早く「おはよう!」と元気な声。少しずつですが我が家の生活に馴染んできた6歳の男の子です。生活全般が覚束なかった1年前とは比べものにならないほど、ここ最近の成長は本当に嬉しく思います。

何らかの事情によって、親元で生活できない子どもが大勢います。その子どもたちの多くは、児童養護施設での生活を余儀なくされています。そしてその多くが「家庭で安心して生活する」ことを体験せずに社会に出なくてはなりません。このことについて私はとても心が痛みます。施設の生活が全部悪いという訳ではありません。

ただ、「家庭で安心して生活する」といったありふれた毎日の繰り返し、その積み重ねこそが、やがて大人になる子どもたちの原動力であると思います。安定した人間関係の中で、寝食を共にし、楽しみ、喜び、喧嘩して泣いて、怒って、仲直りして、人間として大切なものを心に蓄え、人間にとって必要な「絆」を持てるのではないでしょうか?

血の繋がらない里子と里親ではありますが、「家庭で安心して生活」しているうちに、いつのまにか「絆」が生まれ、「家族」になっていきます。

どうか一人でも多くの子どもが、家庭で安心した生活を体験し、一緒に歩んでくれる大人に出会えますように。共同生活は決して楽しいことだけではありませんし、人知れず涙も多いかと思います。でも、きっと、微笑み合える日が必ず来ます。

「一人でも多くの方に『里親として生きる選択』をしていただきたい!」

−里父の願いです−



「お父さん」っていい響き、ありがとう
所沢支部A.T

里子が我家に来て、3度目の寒い冬です。膝の上にのせ、顔を見て話をするような小さな子がきたのではない。高校入学間際の男の子が家族の一員として増えました。

食生活や人間関係が欠如したまま成長しています。何処へ出かけても感動する。良い反応があるので、こちらも張り合いはあります。食物は春夏秋冬、時期の食材や果物が最近やっと分かるようになりました。行動面では引き篭もりがちでしたが、自転車を乗りこなすようになり、特に休日の行動半径が広がり、鼻歌交じりのお出掛けです。

今年は、高校3年生。新春早々に東京タワーと湯島天神様へ初詣を希望、家族で出かけました。この年齢になりますと、自分の意思・考え方も概に出来上がっています。里父の意見を聞くことは殆どありません。注意する場合でも説教節で煩わしさだけが余韻とならぬよう気配りの会話です。難しい時期の家族関係かもしれません。里母にも大声で反発している時、元気があって頼もしくさえ感じます。何故ならば、1人の人間として言いたいことも言えなかった長い我慢生活から脱出、今やっと遅れ馳せの反抗期が、この子にもきたのだな〜と私たちは受け止めているからです。

昨年、高校2年夏休みには、海山へ行く以外に2人でキュウイの棚を作り上げました。窓辺が涼しく日陰もできて、来年は沢山の実がなるよう願いを込めました。しっかりした土台作りからの親子共同作業の開幕でした。相談しながら少しずつ進めて、ひとつの形に作り上げる中から人生の意義の大切さを汲み取ってもらいたいと思い、コミュニケーションを図りつつ行った夏のひとこまでした。

年末には、年賀状・御供餅・正月餅・おせち料理等々、行事や支度が次々とあります。どれをとっても里子になってからの初体験、初めて友人から届いた年賀状も嬉しそうに片付けたようです。私たちで分かる一般常識は全部この子に注ぎたい・・・と、思う気持ちは親心として欲張りでしょうか?

突然の我家へきた大きな子どもですが、何処のお子様より、やっぱり家の里子が一番可愛いです。このまま健康で成人して!と望むのは親として当然のことです。ところが、高校1年生の時、臭覚が鈍いのに気付き耳鼻咽喉科へ、高校2年生では、一瞬空白状態になるのに気付いて脳神経外科へも受診しました。この子の将来に、私たちが無理のない範囲で、尚且つできる限りの事をしていこうと夫婦で話し合う昨今です。

ある時、来客がありました。「僕は部屋に入ってるから」自分なりの気遣いで判断したのでしょうが、「紹介するのでそのままでいいのよ」来客者を囲んで楽しい一時を紹介の後に過ごすこともできました。来客者へのマナー、人との接し方は大人へ近づく第1歩です。沢山の人々に機会あるごとに接していってほしいと願います。

かつて18年間いた犬が、最後2年半はオムツを使用した生活になりました。その後は90歳にならんとする母の介護と続きました。長い介護生活が修了した年に里親登録をしました。里親は苦労があっても、先を見る楽しみがあります。先に明るさを見出せます。子どもの将来を描いて見るだけでも楽しみが大きな輪になります。最初は、「お父さん」と呼ばれてチョット照れ臭かったのですが,「お父さん」なんていい響きだろう。我家は現在幸せな家族です。大きな里子がきたけれど皆で幸せです。そして、よく家へ来てくれました。ありがとう!



里親の道(家族とのつながりを大切にして)
所沢支部里母T.Y

3歳5ヶ月で委託になったT男は、現在大学3年生です。小学校入学までという条件での委託でしたので、T男は6歳になって、3年ぶりに父親と祖母に面会をしました。その時T男は私の洋服の端を手で握り、とてもいい子にしておりました。あとでT男はその時の心境を語ってくれました。「いい子にしてなかったら、連れて行かれると不安だった。」と。

私にとっては嬉しい言葉でした。祖母はその様子を見てか、「このまま長期(委託)でお願いしたい。」と申し出てくれ、私も安心してT男との生活が続けられたのです。

9歳になって突然、父親が重症の病気であるとの連絡があり、病院に面会に行き、その後もときどきお見舞いに行きました。18歳になり委託解除になる前にT男の選択した道は、大学進学、私たち夫婦との養子縁組の希望でした。

20歳になり入籍するに当たって、夫と私は条件を出しました。「養子縁組をしても、あなたの病気の父親を大切にしてほしい。そして自分から入籍する意志を伝え、許可を得てほしい。」と。この約束の上で、T男は私たちの養子として入籍することになりました。

里子としての立場から、養子縁組が成立してから、T男の様子が変わりました。里父に対する接し方が今までとは違い、会話が多くなり、里父を敬う態度を感じます。自分の立場が確立され、精神的な安定感があるのでしょう。

子どものそれぞれの生き方、目的が決まるまでは、長い時間と、忍耐を里親は求められますが、子どもたちの埋もれている可能性が開くその日を信じて、里親の道を歩んでおります。

T男は大学で学びながら、時々実親とも会い、我が家から巣立つ日も近いことでしょう。



里親という生き方
所沢支部里父K.K

私たち夫婦は里親を始めて28年になります。その間に7人の里子を受託しましたが、現在我が家に同居しているのは3人です。他の4人は独立していったり、実親のところに帰ったりしました。同居している一番上の子は女の子で、5年前に措置解除になり、以後同居人という形で家に居ります。短大を出た後、専門学校に通いましたが、今はアルバイトをしています。真ん中の子は男の子で、今年の3月に高校を卒業し、大学に進学する予定ですが、3月末で措置解除になって、同じく同居人になります。一番下の子はもうすぐ6才になる女児で、四月から一年生です。

私は建設会社に30年勤めましたが、7年前に早期退職して、以後は経歴を登録したところから依頼のある都度、海外の工事現場で施工管理の仕事をしてきました。しかし昨年から年金がもらえる年令になり、現在は特に仕事はしておらず、里親が仕事のような生活をしています。ですから今5才の女の子に、それこそ仕事をしているようなつもりで相手になっております。この子は3年前に3才になったばかりで委託されてきたのですが、その間の成長は、まるで一種の奇蹟を見るような思いで、誠に子供の成長を目の当りにするのは、楽しいものだと実感しております。

会社勤めをしていた関係上、朝家を出て夜帰宅するという生活でしたから、一日中家に居て子供の相手をするということは、土日以外にはなかったのですが、会社の仕事に比べると子育てというのは、実に面白くてやりがいのある仕事だという気がしております。会社の時の受注目標や得意先との付き合いなど、一体あれは何だったのだろうという気がする時すらあります。それに比べると、我が家にやってきて家族になってくれた子どもに、安全で快適な生活を提供し、充実した人生が送れるように助力をしてやるというのは、何と素晴らしい仕事であろうかと思います。

私は世の中に出て生きていくということは、一種の技術であると思っています。私は技術屋ですが、技術を覚えるのに一番大事なことは、見て覚えるということです。つまりうちにいる里子は私たちの生き方を見て、世の中を生きていく技術を覚えるわけで、そう思うと、私たち自身の生き方もそれなりに律されることになり、そういう生き方ができるというのも、考えようによっては大変有難いことだと思っております。



小春日和のある日・・・・・
熊谷支部A里親

小春日和のある日、公園のそばを通ると、砂場に何組かの母子がいて、楽しそうに遊んでいました。その笑顔がとても幸せそうに見えました。「きっと私はあの輪の中には入れない」私一人がかわいそうで不幸だと思い込んでいました。子どもさえいれば私の人生は幸せなのだと勝手に決めていました。不妊で悩んでいたもう20年以上前の話です。

その後、私は実子と里子と子ども2人のお母さんになる事ができました。願いが叶った訳です。さて、私の人生はバラ色なのでしょうか・・・?

里親さんの中には、「子育てはとても楽しい」「何の苦労もない」「何十人でも育てたい」とおっしゃる大変愛情深い方がいらっしゃいます。本当にすごいです。尊敬せずにいられません。私は子育てで、もちろん笑いもしましたが、同じくらい泣きもしました。幸せで楽しいときもあれば、悲しく苦しい時も、悩み後悔する時もあったというのが、子育てに対する私の正直な気持ちです。

実子が思春期で、私が一番辛かった時期にその実子に言われたひと言です。「お母さんはお母さんの好きな事をやればいいんだよ。お母さんの人生なんだから」この言葉で私はハットさせられました。

唯一子どもを産む性、つまり女として生まれた自分。そして長男の嫁である自分。跡取りを産むべき自分。もっと考えていくと、○○さんちの娘さん、○○さんちのお嫁さん、○○さんちの奥さん、○○ちゃんのお母さんetc.私は世間体と言うか役割で今まで生きてきて、だから良いお母さんでありたいとこだわる自分。でも本当の自分、私の個はどこにあるのだろう?と気付かされたからです。

私は私。男だろうと女だろうと私は私。親であろうが無かろうが私は私。この楽な気分。これを、里親研修会等でよく耳にする『自己肯定感』というのでしょうか。

それまで、里子との相性の悪さを悩んだ日々もありましたが、私が私でいいなら、里子も里子でいいのだと受け取れるようになってきました。

さて、願いが叶った私の人生はバラ色なのでしょうか?

バラ色の時も、またそうでない時も、人生は色々だというのが私の答えです。実子と里子、この2人のおかげで私は多くの事を学ばせてもらっていると実感しています。そして多くの感動も、子育てしているからこそ味わえるものなのだと思っています。皆様はいかがでしょうか。



私たちは実子2名・・・・・
熊谷支部B里親

私たちは実子2名、里子3名の家庭です。今から27年前、長女が生まれた時に里親になることを決心しました。長女の子育てで、子どもにとって親は不可欠だと確信したためです。

里親登録から数年後に、8か月の男の子を預かりました。その子が中学生になった時に8歳の男の子を、その子が11歳になった時に、2歳の子を預かりました。現在実子が27歳と24歳、里子が20歳、14歳、4歳と賑やかです。私たち夫婦もだいぶ年を取りましたが、年を取るにつれ子どもたちの愛おしさが加わります。

実子も里子も関係ありません。みんな大切な我が子です!

里子の中には、アレルギーのひどい子、喘息持ちの子などがいて医者通いが絶えません。子どもを育てる事は大変ですし、子どもを持つがゆえの悩みや苦労もたくさんあります。

でも、振り返ってみると、その何倍もの喜びを子どもたちがプレゼントしてくれたことを実感します。子育てを通して、自分たちが育てられ、励まされ、“子どもっていいな!”とつくづく思わされる昨今です。



私たち夫婦は・・・・・
熊谷支部C里親

私たち夫婦は共に還暦寸前、でも4歳の男の子のお父さん、お母さんです。1歳10か月で我が家の7番目の子となったこの子のお陰で、家中が明るく賑やかです。

よく食べ、よく寝て、よく遊び、いたずらも半端ではありませんが、本当に丈夫です。クルクルの栗色の髪、大きな瞳で、外を歩けば若い女の子たちから「チョー、可愛い」と大もてです。我が家にどうしてこんな良い子が授かったのか不思議にさえ思えます。

我が家の里親登録は、平成10年、末の娘が中学3年の時でした。里親体験者の話を聞く機会があり、家族相談してすぐに児童相談所に申し込みに行ってしまいました。

初めての里子のA君とはその年の内に会い、5年生の終業式の日から我が家の一員となりました。小さくて心配をした彼も高校生の時には、ぐんと伸び、思春期も何とか乗り越えて、この春、職親さんとも呼べるような面倒見の良い親方さんの所へ就職できました。仕事場近くに部屋を見つけ、引越しも友達を頼んで済ませるなど、すっかり大人になりました。

小学6年から中学、高校と一番難しい時期を我が家で過ごしたのだから、いろいろあって当然だったのですが、今になってみればいろいろあって良かった、いろいろあったからこそ今があると思えます。子どもの自立が親にとって一番の望みです。A君は私たちに励みを与えてくれました。

「家族力」というものがあるとすれば、子どもを真っ直ぐ育てていくのは、「家族力」ではないでしょうか。だから里親さんが必要なのです。



我が家では・・・・・
熊谷支部D里親

我が家では10年前に里親登録をし、8年前に小学1年と中学2年の姉妹を里子として預かりました。最初の頃は赤ちゃん返り、試し行動、嘘や盗み等、どの里親も一度は悩む共通の体験をさせていただきました。

こうした問題行動は、段々と扱い慣れてきますし、起こす回数も減ります。赤色と黒色しか使わず、暗い絵ばかりを描いていた子も段々と明るい色を使い始め、時折、賞状をいただくまでになりました。どれ程勧めても入らなかった近所の鼓笛隊にも自分から入隊を希望し、毎日のように楽器練習の音が子どもの部屋から聴こえてきます。

2年前から児童虐待を受けた小学1年の女の子も預かるようになりました。虐待児は、問題行動の大きさも違います。学校の担任の先生もその子を扱いきれずに数か月間、休職する羽目になりました。

私達夫婦で対策を練ったり、試行錯誤の取り組みですが、これまでの里親体験と専門里親認定研修で学んだことが大いに役立っています。

「三人も預かって大変でしょう」と言われますが、先輩の里子姉妹が勉強や生活の面倒も見てくれて、私達夫婦も息抜きの時間が得られて、大いに助かっています。

我が子同様の愛情をもって育てたなら、どんな子もきっと明るく、心身共に健康な子に育つのだと、そう信じて取り組んでいます。



私たち夫婦は・・・・・
熊谷支部E里親

私たち夫婦は、子と過ごす生活を望んでいるさなかに、里親制度のパンフレットを見ました。家庭で暮らしたい子のために子育てを終えた方や、これから子育てをしたい方のために、里子を迎えて里父、里母となるための手続き、里子養育のための配慮などが書かれていました。

里子委託後は、里親制度のもと養育里親として、または、普通養子縁組や特別養子縁組をすることなども紹介されていました。早速、私たちは市役所福祉課を通して登録しました。里親研修会に参加しながら子の委託を待ちました。ある日、児童相談所から女児委託の連絡が入りました。

マッチング、交流、お泊りと順調に進み里子委託となりました。子は家庭に入るといろいろなことをします。いわゆる試し行動です。そんなときは、愛情で包んであげると子は安心して素直になってくれます。この繰り返しで子も親も成長していき、親子の絆がより強く結ばれていくと実感します。愛情が困難を解決して、多くの喜びを与えてくれます。子がいるからこそ感じる充実、これからも大切な子を守っていきたいと思います。

里親会は、研修会、レクリエーション、里父会、里母会などがあり、里親同士交流の中で、励ましあい、子育てパワーを頂いております。また、児童相談所との連携により、御助言、御協力のもとより良い子のために、里親の啓発と拡大のために活動を行っております。是非、皆様も里親となってこの喜びを分かち合いませんか。



妻の実家に・・・・・
越谷支部里親K.F

妻の実家に行ったある日の事です。夕食時に枝豆を食べました。(娘の大好物です。)一生懸命、豆を手のひらに出して食べていました。すると、ひとふさに三つの豆が・・・そこには、私たちと母がおり、その豆を三人に一つずつ、「はい、どうぞ」と言って分けてくれました。自分の分がないのに・・・そのかわいらしさに、三人で感激しました。

以前にお買い物に行った時の事です。お店でリュックサックを見てから、とても欲しがっていました。プレスクールに通い始めたので赤いリュックサックを買いました。その日から家の中にいる時も、喜んで背負っています。枕元に置いたり、TVを見ているときも・・・

雨の日にお出かけするとき、私たちが傘をさすと、娘がすごく持ちたがります。幼稚園に行くようになったら、買ってあげるよと言っていました。あまりにも私たちの傘をさしたがるので、二ヶ月早いのですが買いました。何でも自分でやりたがる好奇心旺盛な娘です。

最近、私たちがどこかにぶつけたりして痛がっていると、「痛いの?大丈夫?」と心配してくれます。我が家の一員になって、もうすぐ六ヶ月、体も態度も大きくなりました。(しばしば、怪獣にもなります。)

これからも、元気でやさしい子に育ってほしいと思います。



Mからのたくさんの贈り物
越谷支部T里親

“結婚すれば子どもは出来るもの”と思っていた私ですが、まさか自分が不妊治療を受けるとは思ってもいませんでした。しかし、思うような結果が得られず、最後の体外受精の手術が失敗に終わった時は、ひどく落胆し、将来についてとても悲観的な気分になっていました。そんな時頭をよぎったのが「里親制度」。いろいろ調べていく中で、ある北海道の里親さんと知り合いになりました。その方は、ご自分達が里親になった経緯と、今里親として幸せに暮らしている様子を教えてくださり、「落ち込む事はありません」という励ましの言葉と子どもに恵まれなくても「里親」という素晴らしい選択肢があることを教えてくださいました。今でもその方の暖かい心には感謝しています。

そして、里親登録をして一歩を踏み出してから半年後にかわいい3才の女の子Mを紹介されました。“縁”があったのでしょうか。不思議とMの事を他人という気が全くしないのです。自分が産んだ子のような錯覚に陥ります。私たち夫婦とも、同居の主人の両親にも不思議と違和感無くすぐに馴染みました。そして、一緒に暮らし始めてまだ1年も経って降りませんが、短い間にMのおかげで多くの方と知り合い、多くの幸せなひとときをいただきました。また、Mのおかげで夫婦の会話も今まで以上に増えました。そんなMももう4歳になりました。

時々私はMの乳児院時代のアルバムを見ます。そこには私の知らないMがいます。こんな小さいのに良く今までひとりで頑張って生きてきたなと思い、目頭が熱くなる事がしばしばあります。またMの笑顔を見て思うのは、“子どもの寝顔ほどかわいいものはないなあ”という事です。そして、そのたびにこの子を幸せにしてあげなければいけないといつも思うのです。でも子どもを幸せにして上げなければならないと思う私たちは、いつもこのMがいるだけで、“幸せな気持ち・喜び”をたくさんもらっているのだということを忘れてはならないのです。

そしてもっと「里親制度」を広く多くの方に知っていただき、親も子どもも幸せになっていただきたいと思うこの頃です。



私がだれか知り合いに・・・・
越谷支部Y里親

私がだれか知り合いに「里親をやっている」と話すとその反応は大体三通り位に分かれる。「偉いわねえ。(もの好き)」、「なかなかできない事よ。(変人)」、「お宅は余裕があるから。(家は貧乏だから)」。まあ、このうち二つは大体当たっているとして、問題なのは最後の奴である。私たち里親はアメリカ映画の大富豪ではないし、そんな方々とは程遠い存在なのだ。私が里子を預かる時は、「この子が少しでも心身共に安定した生活が営める様に私は努力します。」という事だけだ。先の事なんてわからない。ただ努力するだけだ。今の時代里親とてリストラや倒産、ケガ、病気等々に遭う。世間におこる事は当然里親にだっておこるのだ。どうしよう、という事はよくあるし、夫婦といえども意見の相違も多い。

そしてやっと最近見つけた一つの答。「汝富める時も貧しき時も〜。」“共に生きる”という事。それは私達が途方に暮れたり、喧嘩したり、謝ったり、喜んだり話し合い、ぶつかり合いながら何とか問題を解決し、日々生活しているその姿を子供達に見せるという事ではないか。

かっこいい事も、みっともない事も・・・・・・。きっとそれが家族なのだと思う。

里親も里子もそうでない人も皆、世間の荒波にもまれながら生きている。それでいい。私も、そしてあの子もまた。



家族になりたい
越谷支部N里親

私たち夫婦にとって結婚=子供のいる家庭でした。それはシチューや鍋物のコマーシャルのような暖かいイメージのものでした。しかし、なかなか子宝に恵まれず、数年間の不妊治療にも実子は恵まれませんでした。そんな私たちが養子をと望んだのは、どうしても子供のいる家庭を作りたいという思いからでした。里親になると決意するまでには様々な思いもありましたが、里親登録をしてからは、いつ私たちのところに子供が来てくれるのか?本当に私たちのところにやってきてくれるのか?期待と不安の毎日でした。そして16ヶ月後、R君という3才の男の子の里親の話をいただきました。そして面会…。その日のうちに「パパとママだよ」と紹介され、少々戸惑いましたが、はずかしそうに主人に抱かれたR君は初対面とは思えないほどスッと主人の肩に手を回していました。

それから、面会、外出、外泊を経てR君は3ヶ月後に我が家にやってきました。そして夫婦2人きりの生活は一変しました。今までにはなかった音、ワー!キャー!ブーン!!そして笑い声、まだ舌がまわらないのに一生懸命おしゃべりをするR君は、私たちが親になりたいという気持ちよりかなり早いスピードで我が家になじんでいきました。

それからのR君はいろいろな事に興味を持ち様々な冒険をしていきました。まず、食事は時間になれば出来上がったものがテーブルに並ぶと思っていたようで、私が仕度をするのがとても不思議そうでした。米を研ぐことから、包丁や火に対する注意などを教えていきました。トイレは水洗がおもしろかったようで多量のトイレットペーパーや芯、おもちゃのカプセルは2個も流して詰まらせ便器を台ごと外す大工事になってしまいました。その時はさすがに「ヤレヤレ」と思いましたが…。

4才になり幼稚園に行くようになってからは成長は目覚ましいものでした。歌もすぐに覚え家に帰ってから歌ってくれたり、折り紙や何か物をつくっては毎日が楽しくて仕方ないというようです。時にはイタズラもし、解っていてもわざと怒らせるような事をしたり…。又、時には「お母さん、階段危ないから、僕につかまって」などホロッとさせる事を言ってくれたり…。我が家に来てくれてから約1年、身長も約10p伸び、体重も5sも増え、よく食べ、よく笑い、そしてよく泣き、大きく成長してくれています。今、思うのは、R君と出会うまでの3年あまりの年月を一緒に過ごせなかったことが、とても残念です。これからいろいろなことがあると思います。お互い泣いたり、笑ったり、悲しい思いもすることもあるかもしれません。 R君、あわてないでいいから、仲のいい家族になっていこうね。



― 里子の声 ―
NEW! 『15歳』 僕の今の気持ち
T・I

昨年の暮れ、僕の家では3歳の女の子(M) と1歳の男の子(R)を3週間預かりました。Rに初めて会った時、小さくて可愛いと思いました。母は僕が我が家に来た時と同じくらいだと言いました。「自分もこんなに小さかったんだなあ」と感慨深かったです。

初日から僕はRとお風呂に入りました。母の足にしがみついて大泣きしてすごく大変でした。でも一週間もすると僕とお風呂に入るのが大好きになって、「キャッキャッ」と嬉しそうに騒ぐようになりました。「自分もこうしてこの家に馴染んできたんだなあ」と感じました。母は「あなたの方が大変だった」と言いました。でも14年たった今では、この家族との日々の生活がまったく自然です。

3週間たって、Rたちは自分の家に帰っていきました。急に家の中が静かになって、笑い声や泣き声が僕の心の中に響きます。

僕はずっとこの家にいます。もちろん産んでくれた母に会いたいと思います。小学校を卒業する当時、今の氏名にぎこちなさを感じていました。何かスッキリしなくて、友達を冷やかしてみたり、一人だけ卒業制作を出さなかったりしました。

けれども中学に入り、僕と友人は多くの体験を積み重ねました。今は不思議なことにあの頃のモヤモヤは消えています。友人たちとの体験を通して、僕は自分に少しずつ自信がついてきたような気がします。僕を産んでくれた母も、育ててくれた両親も今は同じくらい大切に思えます。

元気に笑うRの中に小さな僕を見て、僕がRを大事に思うように、育ててくれた両親は僕を大切に思ってくれていると理解できます。

僕のような子どもを育ててくれる里親が、もっともっと増えて欲しいと思います。なぜなら、僕は自分に自信が持てる今の生活が幸せだからです。



NEW! 私はこんな生き方をしたい
Y・Y

私は、感謝の気持ちを忘れない生き方をしたいと思います。また、人に流されない自分にしかできないような生き方をしたいと思っています。

私は、施設から里親さんに引き取られて今まで生活をしてきて、普通の家庭とは違う生き方をしてきた中で、人より色々な思いを経験してきて、どうしてわたしだけ?とか「生まれてこなければ良かった」と思うことは沢山ありました。

でもその中で私を支えてくれたのは第2の親になってくれた父や母、また友達や先生でした。みんなから支えられて教えられた事は、「私には私だけの道がある。苦しい思いや辛い思いや色々な経験を多くしてきたからこそ他の人の痛みや気持ちを分かってあげられるし、自分にしかできない事がある」と言うことでした。

だから私は私のまわりの人達が私の事を支えてくれていたように、色々な人の心の支えになりたいと思っています。また、その支えをいただいている生活がどんなに幸せか、当たり前にならないように、毎日一人一人に感謝の気持ちを持ち続けていける生き方をし続けていきたいと思っています。



家族
里子 O・Y

私は現在、昼間、会社に勤めながら夜間の大学に通い、学校の教員を目指し勉強に励んでいます。会社の独身寮で生活しているのですが、里親さんの元を離れ、これまでどれだけ多くの恩恵を受けていたのかを実感する日々を送っています。現在も里親さんとは深い交流を持っており、正月やお盆など時間のある時に顔を見せに帰り、家族同然の付き合いをしています。中学生の頃から苦手だった、里父とも仲良く酒を酌み交わすようになり、里母も私が帰ってくるのを楽しみにしてくれているようです。私自身、里親さんを本当の「家族」と思っています。

正直に言えば、一緒に生活をしてはいても、自分自身で壁を作り、「所詮は他人」と思っていた時期もありました。里親さんも何度も私を手放そうと考えたことと思います。私にも苦しい時期が何度もあり、実の親や親戚から捨てられたようなものですから、自分の価値や、必要性を見出すことができず、死んでしまいたいと思うこともありました。周りの好意を素直に受け止めることができず、自分を不幸な人間とばかり嘆き、自分自身に甘える卑怯者でした。

しかし、そのような状況のなかで、時に厳しく、けれど決して見放すことなく、私を育ててくれた里親さんがいたからこそ、今、私はこうして夢を見つけ、生きることができているのだと思っています。本当に深く感謝しています。また、友人や恩師、児童相談所の方々等、多くの人の支えのなかで自分が成り立っていることに気付き、自分の価値や必要性という手前勝手な悩みを克服し、自分がいかに多くの人たちから思われているのかを理解することができました。きっと、里親さんが私を手放すという判断をしていたら、私は人との繋がりや、感謝の心を知ることなく、ひどく荒んだ人間になっていたでしょう。

連日、幼児虐待や育児放棄、家庭内暴力などの家庭における残酷なニュースが報道されているなか、血縁関係にあっても、憎しみあい、邪険に扱い、親が子を殺し、子が親を殺す時代が現在です。私は血の繋がりなどさして重要な問題ではなく、互いに向き合い多くの時間を過ごすなかで生まれる絆こそ重要であり、強く深いものだと考えています。

私の生い立ちを知った人たちは、よく「苦労してたんだね」と声をかけてくれますが、私は多くの人に囲まれた、幸せな人生を送っていると自負しています。これからも、「家族」として里親さんと交流を続け、今度は少しでも親孝行ができるよう、努力していこうと思っています。



ウチの家族について
里子 E.I

ぶっちゃけ書くことがなくて、すごく困っているんですが、とりあえずウチの家族についてを書いてみようと思います。

ウチは父・母・妹と私の4人家族なんですが、かわいそうにお父さん、男一人でちょっと肩身が狭そうッ!なんです。(笑)大丈夫だよ!ケンジ(犬)がいるじゃない!!母はものすごいカラオケ好きで習いにまで行っています。カラオケの先生に注意されると、あからさまに落ち込んで帰ってくるので、ちょっとソレが面白かったり(笑)あとはそのカラオケを発表する舞台があったりするんですが、なんかすごいのです。衣装がッ!!人としてありえないから。昭和のアイドルでも着ないよ。妹はとりあえず凄い!!なんなのあの子。はっきり言って完璧なんじゃなかろうかと。頭は良いし歌はウマイし働き者だし子供の面倒見は良いし顔も・・・・(笑)もう結構一緒に暮らしていますが、悪いところをあげろといわれても出てこないです。奴は超人です。ていうか本当に歌がウマイので勝手にTVに応募してしまおうかと母と真剣に話し合い中。

私はことしの4月から社会人になります。はい、おかげ様でありがとうございます。(ハート)概に研修が何日かあったんですが、なんかもうめんどくさいなと。

こんなことならもっと学生の時に遊んでおけばよかったなー。今だから言えるけど、学校楽しかったです。(ぐすん)まだ学校行ける人たちは、ちゃんと学校行っときな!学校行っているときはコジめんどくさいと思ってたけど、後々良い思いでになってくるよ。いかないって言うなら私が変わりにいってやるよ!仕事あるから無理なんだけどさッ!!まだ仕事はじまってないのに大丈夫なのかな私!(滝汗)頑張ろう。頑張って良い夫を見つけて結婚して可愛い可愛い“むつみ(娘)”を産んで誰よりも幸せになってやろうと思います。本気です。だから世の里子さん達も幸せになれるように頑張ろうぜ!いぇい!!



ぼくは5年生です。
南支部B君

ぼくは5年生です。この家に来て10年です。ぼくはお母さんから産まれていないけど、気にしていません。友だちにも結構知られています。でも、いやなことを言われたことはありません。

ぼくには弟が二人いて、上の弟はお母さんから産まれています。下の弟は1年半前に来ました。

ぼくはサッカーが大好きです。週2日スクールに行って、土日は少年団です。今年亡くなったおじいちゃんは、ぼくのサッカーをよく見てくれました。ぼくにとって、とても大切な人でした。下の弟が来た時もすごく喜んでいました。下の弟はサッカーの6年生にとてもかわいがられてモミクチャにされています。みんなぼくたちにやさしいです。ぼくは、家族も、まわりの人たちも大好きです!!



わたしは、二年生です。
越谷支部Rちゃん
わたしは、二年生です。お父さんとお母さんの子どもになれてうれしかったです。お母さんのじっかやお父さんのいなかで、おねえちゃんがいっぱいできました。まい年、夏にお父さんのいなかに行くのが楽しみです。おねえちゃんたちにかわいがってもらってます。本当にうれしかったです。



― 元里子の声 ―

NEW! 家族
E.Y

私には、夢があります。何かになりたいとか、大きい夢ではありません。ただ、将来家族が出来た時、いつも笑顔の絶えない家庭にする事です。

小学校5年生で施設に入るまで、私にとって家族は同じ家に住んでいるだけ。親は、関わりたくない存在でした。そんな家庭で育った私の、家族のありがたさを教えてくれたのが里親です。

里親との生活は、たわいのない話をしたり、一緒にテレビを見たり、今迄の家族としての生活とは全く違ったものでした。だから、驚きと戸惑いがあり、里親に反抗しました。とても苦労をかけたと思います。でも、どんなに辛くて大変でも見捨てず、家族の1人として自分の子のように接してくれたからこそ、私は里親を信じ、本当の親だと思えるようになりました。信頼で繋がっていれば、血が繋がっていなくても親子になれるんだと、その時知りました。

18歳で里親の元を離れ、今私は20歳になりました。20歳になってから、「里親」というものを知る機会がありました。里親説明会で話を聞いたときは、ただただ里親って大変そうという感想しかありませんでした。誰の子かわからない子を預かり、育てるだけでも大変なのに、子供1人1人違った問題があり、愛情を持って育てなければならないなんて、私には無理かもしれません。なのに、あんなに反抗していた私を、最後まで育ててくれた里親に、とっても感謝しています。この感謝の気持ちを、一緒に住んでいた頃、父の日や母の日ですら、やらなかった私ですが、少しずつ伝えたいと思います。

今の私は、一緒に住んでいる大切な人がいます。とても優しい人です。仲の良い幸せな家庭で育ったと、よく家族の話をしてもらいます。羨ましいです。でも、そんな彼の家族や里親に負けないくらい、仲の良い笑顔いっぱいの家庭を持ちたいです。



NEW! 二十才になって
H.H 熊谷支部

成人式に行ってきた。本当は余り行く気がしなかったけど、一生に1回きりだと思い行ってきた。中学校の友達も、すっかり変わってしまって、着なれない背広にネクタイ姿で、すっかり疲れてしまった。

大学を中退して引きこもってしまった友達もいた。僕は高校を卒業して就職したが、半年で止めてしまった。その後アルバイトをいろいろと経験した。パチンコ店員、スーパーの品出し、フォークリフトの資格を取ったけど経験不足の為不採用だった。この不況の中、正社員にはなれずイライラして毎日を過ごしていた。里親に頼ってばかりで自分の力では何も出来ないと思った。

せっかくいい会社に入ったのにどうして半年で止めてしまったのかと後悔したが、あの頃は夢があって、東京へ行って芸能人になりたかった。家を出て自由気ままにやってみたいと思った。でも現実はそんなに甘くないと解った。ハローワークにも行ったが、なかなか再就職先は見つからず、毎日時間だけが経った。ゲームセンターに行っても、お金だけが出ていって楽しくなかった。里親には迷惑をかけてばかりだった。

半年位ブラブラして、運が良かったのか正社員になれた。今度はなにがなんでも止められないと思った。職がないとお金も入らないし何もできない。今はお金を貯めて車を買う予定だ。今の会社は工場だけど、皆親切で働きやすく僕に期待しているらしい。今度は一生懸命に頑張ろうと思う。

二十才になったら自分の本当の親に会って、自分自身の事を知りたいと思う。どうして育てられなかったのか?自分自身のルーツを知りたいと思う。一才半から二十才迄、今の里親に育ててもらってありがたいと思う。これからも血はつながっていなくても、今の里親と一緒にずっと暮らしていきたいと思う。





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